京都が日本初 (発祥の地) その2
市内には「
京都が日本初 (発祥の地)」の偉業を示す碑が幾つも建立されている。
今まで訪れたことのあるところを幾つか紹介(順不同)。
【京都市内】
31 | 黒田節誕生の地 | 32 | 映画フィルム自動現像処理発祥の地 | 33 | 寒天發祥之地 |
34 | 電気鉄道事業発祥地 | 35 | 菖蒲の節句発祥の地 | 36 | 京都バスケットボール発祥の地 |
37 | 第一蹴の地 | 38 | 二十六聖人発祥之地 | 39 | 京都・映画誕生の碑 |
40 | 「銀座」発祥の地 | 41 | 絵馬発祥の地 | 42 |
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(注)赤字は未訪問
御香宮表門西側の石垣の一角に「『黒田節』誕生の地」の駒札が建っています。
「酒は飲め飲め飲むならば、日の本一のこの槍を、飲みとる程に飲むならば、これぞ誠の黒田武士」
と唄われる、よくご存じの福岡民謡「黒田節(=黒田武士)」は、京の伏見で誕生した。
伏見城下町の大名・福島正則の屋敷で開かれた酒宴での出来事が元になっているようだ。
(経緯は駒札に書かれている)
この槍「日本号」は「呑み取りの槍」とも言われ、室町時代のものだそうで、
現在、福岡市博物館(福岡県福岡市)に収蔵されているそうです。
32.映画フィルム自動現像処理発祥の地 (右京区太秦安井西裏町) 「京都市右京ふれあい文化会館」前。
この地は、㈱IMAGICA(旧㈱東洋現像所)発祥の地でもあるようだ。
「寒天発祥之地」碑は、京都市立伏見中学校の前にある。
江戸時代の初期、島津候が参勤交代の途中に山城の国伏見の御駕籠町(京都市伏見区)にある 美濃屋太郎左衛門が営む旅館「美濃屋」に宿泊した。
その時に出された料理の一つにテングサを煮て作ったところてん料理があった。
残ったところてんの一部を外に捨て置いたところ、真冬の寒さで夜のうちに凍結し、
日中は解凍され、暫く放置しておくと乾燥して干物になった。
太郎左衛門はこれを水と一緒に煮て放置してみると、ところてんより白く、
海藻臭がしないところてんとなっていた。
これが寒天製造方法の発見だと言われています。
その後、摂津国島上郡清水村城山の宮田半平なる人物が、美濃屋で寒天製造法について学び、
寒天作りの技術を習得。現在の高槻市で製造器具など技術革新により良質の寒天を作るようになり、
寒天は、日本全国、世界へと広がって行きましたましたとさ。
なお、現在、伏見では寒天は生産されておらず、主生産地は長野県のようです。
大阪・京都・兵庫の寒天水産組合が建立した「宮田半平翁の顕彰碑」があるようです。
電気鉄道事業発祥地 (下京区東塩小路町)については、
下京区東塩小路町が始点とすれば、こちらは終点だ。
毎年5月5日に行われる「駈馬神事」で有名な「藤森神社」。
境内に「菖蒲の節句発祥の地」碑が建っている。
「菖蒲の節句」は「端午の節句」のことで、「端午の節句」の方が馴染み深い。
「菖蒲の節句」元々は中国で厄除けや魔除けをする日としても五月に菖蒲の薬草を使い、
漢方として利用したり酒にして飲んだりする風習があったことが起源となっているようだ。
日本でも古来より行われていたようなので、
何故、藤森神社が「菖蒲の節句発祥の地」となるのか? よくわからない。
「端午の節句ではなく「菖蒲の節句」と表現していることがポイントか?
菖蒲=>尚武(武道・軍事などを大切なものと考えること)=>勝負?
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| 大将軍社 |
| | 大将軍社 由緒 |
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本殿 |
36.京都バスケットボール発祥の地(京都市中京区中之町三条通) 三条柳馬場のYMCAの角にある。
「1915年 京都YMCA
佐藤金一氏とF・H・ブラウン氏によってバスケットボールの歴史がこの地で始まる」
と書かれている。
下鴨神社の末社「雑太社(さわたしゃ)」の前にある。
雑太社(さわたしゃ)のご祭神は、
「神魂命(かんたまのみこと)」「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の2柱。
説明板によると、
「明治四十三年(1910)年の九月十日、社前の馬場にて、御祭神の神「魂」命(かん たまの みこと)は、「球」に通じるとして、糺の森で初のラグビの練習が第三高等学校と慶應義塾大学生のあいだでおこなわれました。それが契機となり日本ラグビ界の歴史が始まり、今日まで数々の名勝負が展開されてきました。昭和四十四年(1969)、その歴史を後世に伝えるため「第一蹴の地」の聖地として記念碑が建立されました。」
ということだそうです。
岩上通綾小路通角にある。駒形札や案内板はない。
豊臣秀吉が発出した「キリシタン禁止令」の犠牲者が活動していたところ。
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「SUS OBRASHABLAN」とは スペイン語で「彼らの功績を語る」という意味 |
「信仰の初穂 日本二十六聖人殉教者発祥の地」と書かれた説明版がある。
(門は閉まっていたので門越しにパチリ
【おまけ】
「南蛮寺」は、織田信長の時代に耶蘇会(イエズス会)によって建てられ、
京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となった。
碑は本堂の左手にある。
「京都で映画が創られて100年目という記念すべき年に当り、
牧野省三氏が、第一作「本能寺合戦」を撮影したこの地「真正極楽寺 真如堂」境内に
その足跡を深く刻み益々の映画発展を願って「京都·映画誕生の碑」を建立した」とのこと。
なお、日本で最初に映画が上映された場所には、
【おまけ❶】
牧野省三氏は、長門裕之氏、津川雅彦氏の祖父にあたります。
【おまけ❷】
途中、面白い髪型(失礼)の阿弥陀仏を見つけた。
途方もなく長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、
髪の毛が伸びて渦高く螺髪(らはつ)を積み重ねた頭となられた様子を表している
そうだ。
全国に16体ほどしかない珍しいもので、江戸時代中頃の作だそうです。
【京都市外】
1.本邦製油発祥地(離宮八幡宮) (大山崎町大山崎西谷) 「離宮八幡宮」は、司馬遼太郎の「国盗り物語」で有名になりましたが、
この神社は「製油発祥の地」でもあります。
「孟宗竹発祥之地」の碑は2か所にあります(すぐ近くです)。
文明(1470年ごろ)に禅僧道元が中国杭州から孟宗竹の原種を持ち帰り寂照院付近に植えたのが
乙訓たけのこの発祥と言われている。