近所の歴史探訪 ~「山陰街道(その2)」編~
近所の歴史探訪 ~「山陰街道」編~では、桂大橋西詰めから維新殉難志士墓までを紹介した。
今回は、 維新殉難志士墓から出発し、沿線の見どころを紹介しながら
かっての山城国(京都)と丹波国(亀岡市)との国境を目指す。
地図
いざ出発。「維新殉難志士墓」から暫く行くと国道9号線。樫原秤谷の交差点を渡り直進。
岡邑(おかむら)明日天女像
「岡邑(おかむら)明日天女像」は、「京都経済短期大学」を少し行った右手にある。
平成16年に建立されたというからまだ新しい。
葛野群と乙訓郡の分水嶺に懸る元岡邑(おかむら)村の西端の竹藪から見つかった如来像が祀られている。
三ノ宮神社
「京都市立大枝小学校」の西の端から右手の道に入る。少し戻る感じになるがそのまま直進。
暫く進むと左手に「三ノ宮神社」の碑が建っているのですぐに分かる。
参道の途中に「淳和天皇御母 贈皇太后 宇波多陵」(後述)に続く道がある。
駒札や案内板がないので詳しいことはわからないが、
祭神は玉依姫之命(たまよりひめのみこと)だそうで、末社として八幡宮と稲荷社がある。
淳和天皇御母 贈皇太后 宇波多陵
「三ノ宮神社」の参道の途中から「淳和天皇御母 贈皇太后 宇波多陵」への参道に入る。
なだらかな階段を登れば直ぐだ。
【ご参考(淳和天皇の火葬塚)】
山陰街道沿いではないが、
物集女街道沿いに淳和天皇の火葬塚がある。
遺骨は小塩山に散骨されたと言う。別の機会に訪ねてみては?
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淳和天皇火葬塚(物集女街道沿い) |
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淳和天皇火葬塚(物集女街道沿い) |
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淳和天皇火葬塚(物集女街道沿い) |
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兒子(ちご)神社
道路沿いの右手に灯篭と参道階段が見えるのですぐに分かる。
案内板によると、祭神は「児子大国御魂神」。末社が四社あり内一つが稲荷社(写真右下)。
聖徳太子の幼児の像が祀られてあるので「兒子神社」と呼ばれていると伝わっているそうだ。
なお、聖徳太子の幼児の像は、元は後述する「大枝神社」に祀られていたそうだ。
大枝山古墳群
「兒子神社」から300mほどで桂坂ニュータウンのメインストリート「桂坂中央通り」と交差する。
ここを右折し直進するとロータリーがある。そのすぐ先右手が桂坂公園、大枝山古墳群はその中にある。
普段は入れないが春・秋に特別公開される。
今年(平成30年)秋の公開日は11月18日(日曜日)午前10時~午後4時なのでお見逃しなく。
古墳は全部で23基あったようですが、14基が保存されてる。
石室を見ることが出来る古墳が3基もあり、石室内部に入ることも出来る。
是非見学されることをオススメします。
(以前の訪問記録「
近所の歴史探訪~「大枝山古墳群」編~」もご参照ください)
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移築復元された14号墳(2017年秋の特別公開時) |
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桂坂野鳥遊園
真っ直ぐ進むと、沓掛山の裾に突き当たる。そこに「桂坂野鳥公園」がある。
今回は時間の関係で中に入らなかったが、入場無料で野鳥観察が楽しめる。
背後の山を散策する散策路も整備されている(現時点では台風の影響で倒木があるためNG)。
開園日:水~日曜日 10時~17時。休館日:月・火。駐車場あり。
なお、毎年「
桂坂野鳥遊園もみじまつり」が行われ紅葉がライトアップされる。
今年(平成30年)は、11月16,17日だそうだ。
【ご参考(電子基準点)】
桂坂野鳥遊園の前にある大枝中学校グラウンド東北角に電子基準点が設置されている。
京都府内19ヶ所(市内には6ヶ所)に設置いるうちの一つだ。是非見ておきたい。
電子基準点は地殻変動の観測などにも使われるが「
大枝中学校電子基準点データ」を見ると
数cm単位で変動していることがわかる。
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桂坂野鳥公園 入口 |
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桂坂野鳥公園 入口 |
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電子基準点 (大枝中学校) |
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大枝神社
「桂坂中央通り」との交差点から少し行くと道路右手に鳥居と大枝神社の碑がある。
祭神は「高見計(たかみけ)神」。
はじめは聖徳太子の幼児像が祀られていたことから「千児明神」と称していたそうだ。
(現在は、聖徳太子の幼児像は「兒子神社」(前述)に祀られているとのこと)
境内裏手にある伊勢神宮遥拝所の下は古墳(直径約11mの円墳)で、天井石が剥き出しになっている。
古墳であることは意外と知られていない。
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伊勢神宮遥拝所の下は古墳 |
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直径約11mの円墳 |
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天井石が剝き出し |
弁天井戸
大枝神社から40mほど行ったところの左手に「弁天井戸」がある。
道路側には植栽があり見つけにくいが、階段のついた細い道が目印。
弘法大師が錫杖(しゃくじょう)で水脈を探して掘ったところ清水が湧き出したと伝えられている。
光仁天皇夫人 贈太皇太后 天高智之子姫尊 大枝陵 (桓武天皇 御母御陵)
「弁天井戸」から50~60m行った右手に「桓武天皇御母御陵参道」の碑が見える。
結構きつい階段を登った先にある。
「光仁天皇夫人 贈太皇太后 天高智之子姫尊」 、何だかややこしいが要は桓武天皇の御母ということ。
陵の手前参道右側に沓掛古墳群(円墳が4基)があるそうだ。
参道脇のふっくらしたところが古墳(円墳)の一つか?
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円墳?(参道から) |
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円墳?(裏手から) |
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関の大明神
「桓武天皇 御母御陵」から更に50~60m行った右手に見える灯篭が目印。少し分かり辛いかも。
平安時代、山陰道の丹波国と山城国の境界に関所が設けられていた。
その関所跡とされる所に「関の明神」の少祠が残されている。
関の大明神を過ぎ暫く行くと国道9号線だ。9号線を歩くのは危険極まりない。
旧山陰街道の道ではないかもしれないが、地図を見ると京都縦貫道沿いに道があるので行ってみることに。
国道に出て200mほど先の横断歩道を渡り、霊園に続く道に入る。
少し上がったところの霊園管理事務所右手のそれらしき道を進む。道は舗装されている。
暫く進むと「洛西散策の森」の道標があった。
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霊園管理事務所右手の道 |
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「洛西散策の森」の道標 |
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洛西散策の森
「洛西散策の森」は、京都府立大学演習林の一部を整備し散策を楽しめるよう整備されたものだ。
この日は、台風の影響で倒木が多いのか立入禁止となっていた。残念。
「洛西散策の森」を過ぎて更に進むと右手に京都縦貫道の老ノ坂トンネルが見える。
さらに進むと道は行き止まり。「万事休すか?」と思いきや右手に山道が見える。
地図を見ると山道の記載はないがその先に「首塚大明神」がある。
目と鼻の先なのでもう行くしかないでしょう。道ははっきりしているので迷うことはない。
結構急な山道を登り切ると「京都市の西部圧縮梱包設備」へ続く道路橋の下にでる。
橋の下を通り抜けると「首塚大明神」と思しき社の裏手に。
首塚大明神
「首塚大明神」、何ともおどろおどろしい名前だ。祭神は「酒呑童子」。
石板に由緒が書かれている(写真を拡大すればなんとか読める。解読(?)したものも用意した)。
これを読めば説明はいらないだろう。
【ご参考】
由緒には、酒呑童子は「丹波國の大江山を拠点とする」とあるが、これには諸説ある。
西京区樫原杉原町にある「
樫原三ノ宮神社」の由緒書には、
「
酒呑童子は洛西・大枝山にいた」
と書かれている。大枝山は地図には表記されていないが、
首塚大明神の南の山中の「NTT西山無線中継所」辺りだと言われている。
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樫原三ノ宮神社 駒札 (首塚が大枝塚原にあるとの記述は誤り? 正しくは大枝沓掛か?) |
「大枝山」については「
近所の山々 大枝山(456m),大暑山(567.6m) 登山」をご参照ください。
道標
首塚大明神からほんの少し先左手に「従是東山城國」と書かれた道標がある。
かつての山城國(京都)と丹波の国境だ。今回はここがゴール。
子安地蔵尊
道標見学後は、元の道を引き返してもいいが、余力があれば「子安地蔵尊」も見ておきたい。
(首塚大明神の由緒にでてくる「子安の地蔵尊」かもしれない?)
道標の前の道を進み、少し行って右折し進むと国道9号線に出る。
陸橋を渡って少し行くと「老ノ坂バス待合所」があるのでここから市内に戻ってもよい。
(国道9号線は交通量も多いので直接横断は大変危険です。必ず陸橋を使ってください)
「子安地蔵尊」はバス停の手前にあるが、施錠されており中に入ることは出来ない。
古くより安産守護の地蔵尊として崇敬されてきたようで、いろいろな言い伝えもあるようだが今回は割愛。
【参考資料】
~文化財と遺跡を歩く~ 京都歴史散策マップ(大枝・桂坂)
近所の歴史探訪「街道」編は、
①
近所の歴史探訪~「山陰街道」編~
②
近所の歴史探訪~「山陰街道(その2)」編~
③近所の歴史探訪~「西国街道(その1)」編~
④近所の歴史探訪~「西国街道(その2)」編~
⑤近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~
⑥近所の歴史探訪~「物集女街道」編~
⑦近所の歴史探訪~「桂川街道」編~
の以上7編で完結です。