2019年4月14日日曜日

近所の山々 大枝山(456m),大暑山(567.6m) 登山 

近所の山々 大枝山(456m),大暑山(567.6m) 登山

 近所から京都西山連峰がよく見える。
桂川左岸から望む西山連峰(桂大橋北800mより)
 
北から順に、 
 ①愛宕山(924m) (三角点の標高は889.8m)
 ②小倉山(296m)
 ③嵐山(382m)
 ⑥松尾山(276.1m)
 ⑦沓掛山(▲415.1m)
 ⑧大枝山(456m)
 ⑨大暑山(567.6m)
 ⑩小塩山(642m)
 ⑪ポンポン山(678.8m)
 ⑫釈迦岳(631.0m)
 天王山(270m)
此の内、太字の山(▲:三角点あり)は既に登頂済みなので、未踏峰は
沓掛山(415.6m)、大枝山(456m)、大暑山(567.6m)、釈迦岳(631.0m)の4山だ。

今回のターゲットは、大枝山(456m)と大暑山(567.6m)。

大枝山は国土地理院の地図にも記載がなく、その場所については、
 ①「老ノ坂周辺」([新老ノ坂トンネル辺りの地名は亀岡市篠町王子]となっている)
 ②「NTT 西山無線中継所」辺り
 ③「大暑山」
などの説があり諸説紛々だ。今回は「②」を採用した。

 実は大枝山(②)にはもう何十年も前に登ったことがある。すっかり忘れてしまったが、
北山麓にある首塚大明神(注)から登ったことだけは覚えている。
当時は、大枝山に纏わる言い伝えなど知らずに「ただ何となく登った」という感じ。
しかし数年前、樫原三ノ宮神社の由緒書きを読んで以来「大枝山」が気になり、
もう一度登ってみたいと思っていた。
(酒呑童子は「『丹波の國大江山』に本拠を構えた」というのが通説だが、『洛西大枝山』説もあることを知った)
樫原三ノ宮神社の由緒書き
おおえ山鬼退治 (樫原三ノ宮神社にて)
平安時代の武将 源頼光が大枝山(大江山)の鬼・酒呑童子を退治する様子

樫原三ノ宮神社の由緒書きには、
「古い言い伝えで、洛西・大枝山(おおえやま)には京に入洛する旅人を襲って金品を略奪する鬼がおり、
その首領の酒呑童子(しゅてんどうじ)は人々に恐れられていました
 平安中期の武将・源頼光(みなもとのよりみつ・948-1021)が、この地の小さな祠に供えてあった神酒を飲んだところ、たちまち酔いつぶれました。そこでこの酒を鬼に飲ませ、酔いつぶれたところを退治したといわれています。
今でも洛西の大江塚原に鬼の首塚があります(鬼とは山賊のことだと言われており丹波の大江山説もあります)。
このことから、鬼を退治できた「酒の神」、その武徳から「武勇の神」、大枝山から「山の神」の三神をまつり、その神徳をたたえ、社が造営されたと伝えられています。・・」
(注)首塚大明神の由緒書きには、酒呑童子は「丹波の國大江山に本拠を構えた」とある。

鬼(≒山賊)の棲家のあった?「大枝山」、果たしてどんなところなのでしょうか?
答えは下の写真。
酒呑童子の棲家のあった?、「大枝山」山頂(456m)
山頂と思しき「NTT 西山無線中継所跡地」に、山頂を示す標識「大枝山456m」がぶら下がっているが
鉄柵と有刺鉄線で囲まれ中には入れない。
鬼(≒山賊)の棲家として「鬱蒼とし昼間でも薄暗いところ」をイメージしていたが拍子抜け。
とても「酒呑童子に思いを馳せる」気にはならない。残念。

大暑山(567.6m)は、西山団地南端のグランドの裏手から登る。
登りだして直ぐに南春日町バス停への分岐点がある。
ほんの少しの急登を我慢して登れば大暑山だ。
山頂は小塩山へのルートからほんの少し外れたところにある。三等三角点があるが展望はない。
大暑山山頂 568m

【概略行程】

50分
10分
20分
20分
15分
60分


沓掛西口(バス停) => 西山団地 => 大枝山 => グランド => 大暑山 => 分岐点 => 洛西NT

山行の様子はスライドショーで。