2018年4月29日日曜日

京都吹奏楽団 第46回定期演奏会(Spring 2018)

京都吹奏楽団 第46回定期演奏会(Spring 2018)


京都吹奏楽団第46回定期演奏会(長岡京記念文化会館)に行ってきました。
京都吹奏楽団は1960年の創団。京都で最も伝統あるバンドで『京吹』の愛称で親しまれている。

プログラムは3部構成。
第1部は、「キャンディード序曲」「ボロヴェツ人の踊り」。
第2部は、「京吹 なな色」と7つのミュージカルから。
音楽は勿論のこと、その企画・演出は観客を魅惑し惹きつけ、大いに楽しませていただいた。

第3部は、交響曲第1番「古代世界の七不思議」(アレックス・ポールマン)。初めて聴く曲だ。
フィロンの書いた「世界の七つの景観)」をモチーフにした曲で全7楽章。
「世界の七不思議」、幼少の頃貪るように読んだ(見た)記憶が微かに残る。
それが交響曲になっていたとは、驚き桃の木山椒の木だ。

指揮者が曲について解説してくれた。聴きどころ、効果音とその楽器、・・。
吹奏楽なのにチェロ奏者がひとり(楽器編成にはチェロが必須らしい)。
この曲、関西では初演だそうだ。

さすが「京吹」、聴き応えのある演奏でした。(客席から"Blavo"の声頻り)

アンコール曲は、
「Climb Every Mountain」「Skimble Shanks The Railway Cat」の2曲の大サービス。
実に充実した時間を過ごさせていただきました。

来年の演奏会が楽しみです。

Thanks.




2018年4月22日日曜日

医祖神碣 五條天神社

医祖神碣 五條天神社 イソジン


五條天神社は、松原通と西洞院通の交差点西南角にある。
源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶の出会いの場所として有名だ。

天神社とあるが、主祭神は菅原道真公 (本殿背後に「筑紫天満宮」がある) ではなく、
 少彦名命(すくなびこなのみこと)
 大巳貴命(おおなむぢのみこと) (大国主命)
 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
の3柱。

少彦名命は
「大国主命と共に国造りされ、小さな神ながら薬やお酒を造られた能力抜群の神で
不思議な力を持っており、医薬の祖として崇拝された」
という。
境内には、薬の祖である少彦名命を讃えた銘文が刻まれた「医祖神碣(いそしんのけつ)」が建立されている。
★碣(けつ):石に文字を刻んだ円柱形のもの
★碑文に刻まれた内容は「フィールド・ミュージアム京都」 に詳しく解説されています

【余談】
①有名なうがい薬イソジン、てっきり医祖神をカタカナ表記したものだと思っていたが
 どうやらそうではないようです。関心のある方はご自身でお調べください。
②少彦名命(すくなびこなのみこと)は童話「一寸法師」のモデルではないかともいわれています。
医祖神碣
医祖神碣 拡大

五條天神社
本殿
由緒書
由緒書
福部・金刀比良・大国主・白太夫神社
稲荷神社・猿田彦神社・辨財天社


筑紫天満宮

2018年4月21日土曜日

霧島つつじ in 八条ケ池

霧島つつじ

今が見頃の「霧島つつじ」。

やや濃い鮮紅色の花の色、強烈なインパクト、圧巻だ。
長岡天満宮 八条ヶ池 中堤にて


帰りがけ「ツバメの巣」をみつけた。何年ぶりだろう。暫し見入ってしまった。

2018年4月15日日曜日

和気清麻呂 絵巻(紙芝居) 護王神社 

和気清麻呂 絵巻(紙芝居) 護王神社 


護王(ごおう)神社は、京都御所の西、烏丸通を挟んで向かい側にある。
主祭神は、和気清麻呂公命と和気広虫姫命。姉弟神だ。

「足腰の健康安全、病気怪我の快復には格別のご利益がある」として訪れる人は引きも切らない。

境内にはいたる所に「猪」。「猪」と「祭神である和気清麻呂公命」と「ご利益」の関係は、
「和気清麻呂公命、道鏡事件で大隅国(今の鹿児島県)へ流されたが、途中
足萎えで立つことも出来なかったが、猪のご守護によって不思議と立って歩けるようになった」
という故事に因んでいるようだ(詳しくは「由緒書」を参照)。

護王神社 表門
護王神社 中門
拝殿
いたるところに猪
足萎難儀回復の碑 ここで祈願
由緒書①
由緒書②
由緒書③
いのしし神社のおはなし
また由緒書には、
和気清麻呂公は、長岡京が十年を経ても完成せず厖大な費用がかかりすぎるとして、
桓武天皇に「葛野への遷都を進言、造宮大夫として平安京の都造りを推し進めた」とある。
平安京造営の立役者・重要人物の一人なのだ。
「足腰の健康安全」 が有名すぎて、こちらの方は少し霞んでしまっている?

護王神社の烏丸通り沿いの塀には、
「護王神社 ご祭神 和気清麻呂公命 和気清広虫姫命 絵巻」なるものが展示されている。
北から南へ順に読み進めると「和気清麻呂公命 和気清広虫姫命」の生い立ちや功績、
道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)、猪にまつわる故事などが理解できる仕掛けだ。
写真に撮って紙芝居風に仕立ててみた。
北から南に読み進めます
Google Slide

紙芝居風動画(音声入り)

2018年4月8日日曜日

花よりフランクフルト

花よりフランクフルト


僕(=Chiro)の戯言

毎年この時期になると決まって「お花見」に連れて行ってもらえる。
「桂駐屯地 桂さくら並木公開」だ。
昨年は、4月1日(土)・2日(日)だったが寒さのせいか殆ど咲いていなかった。
それを見越してか、今年は一週間ずらして4月7日(土)・8日(日)。これが裏目に出た。
染井吉野系は殆どが葉桜だ。

会場に着くと思いの外、大勢の人で賑わっていた。僕同様お目当ては桜だけではないようだ。
今年は、例年以上に露店(模擬店)が多い。彼方此方から「いい匂い」が漂ってくる。

僅かだか桜も咲いている。
しかし、僕のお目当ては「桜」ではない。そう、お目当ては「フランクフルト」。
僕は「花よりフランクフルト」だ。

少し遠くて歩き疲れたが、会場では多くの仲間にも会えて、楽しいひと時であった。
「来年も花見に連れてって~」。
花よりフランクフルト

見納めの桜 「来年も宜しく」


2018年4月1日日曜日

船岡山(111.89m) 登山

船岡山(111.89m) 登山


麗らかな陽気に誘われて、船岡山(111.89m)に登ってきた。
「船岡山 登山」なんて言うと「船岡山は山とちゃう、あれは岡や」とのツッコミも聞こえてきそう。
清少納言の枕草子にも「岡は船岡。片岡。・・」という段がある。
「船岡山公園」として整備されており「登山」と言うには些か気が引けるが立派な山だ(と思う)。

「丘」か「岡」か「山」かは別として、「船岡山に登ってみたかった」のには理由がある。

今から千二百年ほど前、平安遷都に際し風水が相され、 船岡山が大地の生気が迸り出る
玄武の小山と卜され、「船岡山を北の基点として平安京が造営された」と聞く。
確かに当時のメインストリート朱雀大路(今の千本通り)を延長すると船岡山に突き当たる。
当時の人々が眺めたであろう船岡山からの光景を是非眺めてみたいと思っていた。

東西南北何処からでも登れるが、今回は北大路通から入山。
麓からの標高差は50mあるかないか、一気に山頂だ。
船岡山(118.89m) 登頂の証。三等三角点 船岡山
春霞かPM2.5か、はたまた黄砂か、京都タワーが遥かに霞んで見える。
「あの西には羅城門があったはずだ」などと想像を膨らませながら、暫し景色を堪能。
船岡山山頂付近から京都市内を望む
 
遥か昔の平安京に思いを馳せたあとは、船岡山公園内を散策。
この日は広場でイベントが行われており少々喧しい。
昭和5年に作られたという「ラジオ塔」、山頂付近の巨岩(磐座?)、其処彼処に点在するお地蔵さん、・・。
そう言えば、ここは応仁の乱(室町時代)で西軍がを構えた場所だ。
(西軍の地跡だから「西陣」。この辺り一帯の地名の由来となっている話は有名)
お地蔵さん群は慰霊の為なのだろうか・・。

東に進むと打って変わって静寂が辺りを包む。
織田信長公を祀った「建勲(たけいさお)神社(通称:けんくんじんじゃ)」、
玄武大神を祀った「船岡妙見社」、宇迦御霊大神・国床立大神・猿田彦大神を祀った「義照稲荷神社」がある。
義照稲荷神社の前には両部(りょうぶ)鳥居がある。厳島神社の鳥居の形として有名らしい。
(「義照」は人名のような気がしますが誰なんでしょうね~)。
義照稲荷神社の横には伏見稲荷の命婦社の親神「船岡山の霊狐」を祀った稲荷命婦元宮、
裏手には「船岡稲荷大神」、「荒木大明神」、神名を刻んだ多くの石碑が祀られている。

階段を降りると大きな鳥居があった。
京都府下最大の「木造明神型素木造」、使用材は台湾阿里山の紅檜だそうだ。

もう一度山頂を経由し帰路についた。往きには気が付かなかったが前方に(左)大文字が見えた。
何か得した気分。

「船岡山」、歴史の勉強にもなる安心して登れる「山」だ。
史跡 船岡山
史跡 船岡山 案内板
三等三角点 船岡山
ラジオ塔
ラジオ塔 案内板
山頂付近の桜は、まだまだ見ごろ
頂上付近の巨石 磐座か?
彼方此方にお地蔵さんが
応仁永正戦跡碑
案内板
船岡山と中世の合戦 案内板
建勲神社
建勲神社 駒形札
建勲神社と義照稲荷神社案内板
建勲神社 境内図
建勲神社 本殿
船岡妙見社
船岡妙見社 駒形札
義照稲荷神社
義照稲荷神社
稲荷命婦元宮
駒形札
船岡山不動明王?
大鳥居
おまけ (左)大文字がよく見える

自作GIFアニメ 羽ばたく蝶