2022年3月26日土曜日

ボランティア奮闘記

ボランティア奮闘記 


 回線をADSLから光に切り替えたとき、ついでにプロバイダーも切り替えた。
旧プロバイダーでは無料で5MBまでのHPが作成できたので、
IBMの[Home Page builder]を使ってHP作りに挑戦していた。
何しろ5MBしか使えないなので、画像も小さくし容量を減らすため[gif]化するなど
さまざまな工夫を重ねたことを覚えている。その旧プロバイダーとの契約も間もなく終了する。
契約が終了すれば当然HPも閲覧できなくなる。
(新プロバイダーへのお引っ越しも考えたが面倒くさいので止めた)
何年も放りっぱなしであったが削除される前に「もう一度見ておこう」と思い、
改めてじっくり見てみた。
今にして思えばどうでもいいようなコンテンツが多いが
現在も続けているボランティア活動「シルバーCITAサロン」を始めた経緯が書かれた
「ボランティア奮闘記」が懐かしく、備忘録として残すことにした。
以下がその記事である。
もう何年も前に、時の政府が高度情報化社会の実現に向け「IT戦略本部」を設置し、
【e-Japan戦略】、【e-Japan戦略Ⅱ】等の戦略を打ち出し,
わが国におけるITの基盤の整備と利活用技術の普及が図られてきました。
当時、無料のパソコン講習会が各所で実施されましたので、
参加された方もいらっしゃるのではないでしょうか?

このような状況の中,私の住む京都市においても
「高度情報化のための京都市行動計画~【e-京都21】~」が策定され,
京都市地域ITアドバイザー(以下CITA(Community Information Technology Adviser)と略す)
事業が開始され,
「IT技術に関する普及・啓発に意欲的な人材を,広く市民から求め,
地域ITアドバイザー(CITA)としての資質と技能の研修やCITA認定試験,
また市民の情報活用能力の向上を図るためのCITA活動が実施されてきました」。

私も3年前に認定講習会に参加し、準地域ITアドバイザー(準CITA)の認定を受けました。
当時、私はまだ現役でしたので具体的な活動をする事もありませんでした。
何れ時期が来たら「是非やってみたい」と思っていました。

昨年、CITA事業の事務局を担当している財団法人 京都高度技術研究所から
「中高齢者を対象としたCITA活動(シルバーCITAサロン)に参加しませんか?」
とのお誘いのメールを頂きました。一度見学に行き,
パソコンを通して,一期一会を大切に育み,中高齢者の知的健康と新たな趣味の発掘,
デジタルデバイド(情報格差)の解消,および仲間作り,役割作りと新たな生きがいの発掘を
模索している(単なるパソコン教室ではない)
との代表者の話に共鳴し,以降ずっとお手伝いをしています。

場所は、ひと・まち交流館京都で,原則毎週月曜日午後1時から3時間です。
1クラス15名程度で,参加した当初は2クラスでした。
(その後,1クラス増え、現在3クラスとなっています)。
参加者は文字通り【シルバー】の方が多いですが、
最近のクラスは【シルバーまではいかないグレイ(?)】な方もいらっしゃいます。
(ブラック=>グレイ=>シルバー)。

現在は,「さぁはじめようWord 2002 テキスト」を使ってWordを中心に勉強していますが、
早いクラスはディジカメの画像処理にまで進んでいるようです。
また,時期に合わせて暑中見舞いや年賀状の作成なども取り入れられています。

私がお手伝いさせていただいてから1年弱になりますが,
参加されている皆さん大変熱心で,殆ど欠席もなく学習されています。
それにしても,パソコン持込なので週一回とはいえ数㎏のノートパソコンを持ち運び、
一生懸命学ぼうという姿勢には頭の下がる思いです。
お手伝いのし甲斐があるというものです。

かく言う私も、パソコンを教えるための教育など受けた事はなく、
Word,Excelなどは仕事を通して我流で学んだものだけでした。
「教科書にある使った事のないような機能」は当方としても勉強になります。
持参されるパソコンも新旧そしてMacと入り混じり、OSも98/Me/XPと多種多様、
時には冷や汗の連続でいい刺激にもなり、緊張感を持ってお手伝いさせていただいています。

パソコンは叩いても動きません。
叩きすぎると


現在のところ通常のパソコン教室とは違い卒業制ではありません。
参加されている皆さんは自宅で自習もされておられるようであり、
週一回といえども1年近く続けますと相当なレベルにまで進まれています。
教科書全部やっちゃったら次どうするんだろう? と気になりますが、
このサロンは単にパソコン(今はWord)技術の習得のみではなく、
パソコンを通した一期一会の出会い,人とのふれあい・交流,生きがいの発掘などを
目指していますので余計な心配のようです。

 1.文字入力に時間を要する(これは致し方ないか?)。
 2.マウス操作が覚束ない
  (カーソルの位置設定,範囲選択,(ダブル)クリック,…。オットット,カーソル何処行った?)
 3.やりたい処理とツールバーの関係がもうひとつ
  (どのツールバーだっけ?,どのボタンだっけ?)。
 4.文字や図形の選択あるいは範囲指定なしで機能ボタンを押してしまう
  (ボタンをクリックしたのに動作しない。何故?)
 5.必要なツールバーがいつの間にか消えてしまった。
 6.記号(?(疑問符)、!(感嘆符)、…)はどのキーを押せばいいの?
 7.図形が動かない。
      :
などなど、当初は初心者にありがちな課題もありましたが、何れも時間(=慣れ)が解決しました。
考え方によっては【ゆっくり】もSlowLifeでいいものです。
上司や同僚に文句を言われる事もなく、齷齪する必要は全くないのですから。 

行く度に新しい発見がある、幅広い世代の人たちとお喋りを楽しめる、
このボランティア活動は私の性に合っているようです。

ボランティアは義務感でやるものではないと思います。
本人にとっても楽しいものでなくては長続きしませんよね。
少しでもお役に立っていれば良いのですが?。

以上の記述は6年ほど前の話で、現時点(2011/11)のものではありません。
懐かしいので内容は更新せずそのままにしてあります。
現在、担当している【パソコンの利活用】クラスでは、
Excelで作るゲーム」の作成などにも取り組んでいます。

2022年3月12日土曜日

11年前に買ったDell [Inspiron N5010],Windows11で復活!?

11年前に買った Dell [Inspiron N5010],Windows11で復活!?

少し前、11年間使い続けていたDell [Inspiron N5010](正常性チェックは当然NG)で
Windows11が使えるかどうか試してみた。結果、正常に動作することを確認した。

確認後暫くはWindows10を動かしていたのだが、突然Blue Screen Errorが出た。
停止コードは「SYSTEM SERVICE EXCEPTION」。
以前にも「ブルー スクリーン エラー(Blue Screen Error)」が出たことがあったが、
この時は再起動で元の状態に戻り事なきを得た。
今回も「大したことはないだろう」と高を括って、電源を切り再起動してみた。
何と今度は、停止コード「BAD SYSTEM CONFIG INFO」。これには焦った。
何度か繰り返して試してみたが、症状が改善される様子はない。
ネットで発信されている情報を元にあれこれ試してみたが正常に起動できない。
ほんまもんの「えらいこっちゃ~」だ。
このまま[Windows10]を使い続けたければ、
「Windows10の再インストール」という最終手段しかなさそうだ。

考えられる選択肢は、
 ❶Windows10を再インストールする
 ❷正常性チェックを無視してWindows11をインストールする
 ❸外付けデバイスにWindows11(またはWindows10)をインストールする
 ❹Dell [Inspiron N5010]を処分

 [Inspiron N5010]は、様々なトラブルに見舞われながらも11年間頑張って
よく働いてくれた(6年前にWin7=>Win10へ)。
今は殆ど使うこともないのでリタイアしてもらっても悔いはないが、
身体(ハードディスクなど)はまだ大丈夫そうなので、

最新のWindows11で復活させ、もう一花咲かせてやろう。
ご本人([Inspiron N5010])もきっと喜ぶに違いない

幸い
 ❶非対応パソコン[Inspiron N5010]でもWindows11は動作することを確認しいる。
 ❷HDD上のユーザーファイル(ドキュメントなど)は読み書き出来ることを確認している。
  (HDDが壊れているわけではない)
 ❸今のところ、Windows11やドライバーのUpdateは正常に行われている。
と言うことで、
外付けSSDにWindows11を作成し、そこから起動して使い続けることにした。作成方法は、
 このままではOfficeが使えないので、既にサポートが打ち切られていることを承知の上で
購入時に附属していたDVDから[Office Personal 2010]をインストールした。
インストールは何のトラブルもなくスンナリ出来た。Office2010はWindows11でも動作する。
その後、更新プログラムを確認するとOffice2010関連の更新プログラムがドッサリ溜まっていたので、
一気に更新した。これで最新(?)のOffice2010となった。 

【まとめ】
❶Dell[Inspiron N5010]はWindows11で見事に復活した。
❷Windows11をインストールした外付けSSDと本体とはUSB2.0での接続ではあるが、
 SSD効果、Windows11がクリーンな状態にあること、メーカー固有のアプリがないことなどで
 Windows11の起動やアプリの起動はHDDベースのWindows10に比べ格段に速くなった。
❸Office2010はWindows11下でも正常に動作する(推奨は出来ないが・・)
❹非対応PCへのWindows11及びドライバーの更新がサポートされなくなるまでは使えそう。
 (セキュリティー上問題がないわけではないが)
❺ちょっと困ったこと
 ①[BIOS]で起動ディスクを[USB Storage Device]に設定しても、電源投入時に
  [Press any key to boot from USB・・ ]が表示され、都度適当なキーを押す必要がある。
  (押さないとWindows10を起動しようとする)
 ②更新プログラム実行中の再起動でWindows10を起動しようとする。
  (一旦電源を切り、[USB Storage Device]から再起動すると更新プログラムは再開する)
 ③年1回の大型アップデートが適用されない。
  作成時のバージョンはWindows11 21H2であった。
  その後、21H2に対する更新プログラムは適用されるものの、22H2に対する案内はない。
  大型アップデート後のWindows11を使って再度同様の作業をする必要あり。

2022年3月6日日曜日

ほん魔界(まかい)な!?

ほん魔界(まかい)な!?

ご案内します、京の ほん魔界(まかい)な!?」スポットへ。さあご一緒に出かけましょう。

1200年の歴史ある京都、思わず「ほん魔界な!?」とツッコミたくなるようなスポットやお話が沢山あります。
幾つかご紹介します。

「ほん魔界(まかい)な?」、
関東の人はきっと「本当?」「本当ですか?」「嘘でしょう」「嘘~」なんて言うんでしょうね。
「ほん魔界(まかい)な?」は「なんでやねん!」と並んで関西を代表する言い回しです。


 斑女塚は、京都きってのビジネス街四条烏丸を少し下がった室町高辻にある。
繁昌神社」から西へ徒歩一分の少し奥まったところ。
斑女塚

随分前に来た時には岩の前に小さな祠があったのだが・・・

「班女塚」にまつわる話は、鎌倉時代の初期に書かれた
要約すると

「この地に住んでいた長門前司には2人の娘がいた。
その中の妹は未婚のまま病死した。
葬送の折、遺体を棺に入れ鳥辺野の墓地へ運んだが、
墓地に到着するとおさめたはずの遺体がない。
高辻室町の家に戻ると,遺体は元の位置のまま。
夜が明けてから又棺に入れ、今度は念を入れて厳重に棺に納め、
夜になったらなんとかしようと思っているうちに、
夕方棺を見ると、この棺の蓋が細目に開いているではないか。
近寄って見ると、死骸は棺から出て、また妻戸口の間に横たわっている。
遺体を棺の中へ入れようとするもびくともしない。
『これは死んでもここに居たいのだろう』と思い、ここに塚を造って葬った」

それが「斑女塚」というわけだ。
自分の居場所に強烈な思い入れ、愛着そして未練があったのでしょうか・・・?。

斑女塚」は近くの「繁昌神社(宮)」の末社奥之院という位置づけになっている。
由緒書きによると、繁昌神社(宮)の祭神は宗像三女神。
もともと「斑女ノ社」「半女ノ社」とも称し、牛頭天王の妃「針才女」を祀り、
それが転訛して「斑女」になった。
後世の書物に「『斑女』と『繁昌』は同音の為、男女参拝し子孫繁栄を祈願した」と書かれ、
縁結びの神として詣でられる他、宗像三女神の市杵島姫命が仏教の弁財天と解されることから、
商売繁盛・諸芸上達のご利益があるのだとか。           
繁昌神社(宮)
繁昌社 由緒



2.(京都)神田明神 (天慶年間、平将門ノ首ヲ晒シタ所也)
 平将門は、菅原道真、崇徳天皇と並んで「日本三大怨霊」と言われています。
天慶年間、平将門ノ首ヲ晒シタ」と伝わるところに(京都)神田明神があります。
 四条烏丸を西へ行った新町通りの先の細い路地(膏薬辻子(膏薬図子))を下がったところ。
 かっては民家の軒下の壁に埋め込まれていたが、今は立派(?)な神社になっていた。
 由緒を読むと、現在は東京の神田神社の管轄下にあるようで、
 祭神は平将門命の他に大己貴命、小彦名命となっています。 
(京都)神田明神 
かつての神田神宮
(天慶年間、平将門ノ首ヲ晒シタ所也)
平安時代,下総の国(=現在の茨城県)の【武将・平将門】は,税を滞納した人を匿って,
朝廷に反旗を翻し関東を制圧。新皇を名乗ったが,朝廷に制圧され,
首は京都に運ばれ晒されたという(正にその場所が「かつての神田神宮」)。
ところが,
梟首されても死なないで夜な夜な「骸を継いで再び戦う」と叫んでいたという。
ある日,首は体を求めて東へと飛んだが、途中、その土地土地に落ちたという伝承がある。
力尽きて最後に東京大手町(千代田区大手町1丁目2-1外)に落ちたという。
そこには、将門の首を供養するための「将門塚」がある。
(「将門」ゆかりの地は「将門散歩」に詳しい)

また,こういう話もあります。
「京の獄門台に晒されることになった将門の首は,運搬の途中で腐ってしまった。
で、腐った首を京への途上の丹八山(名古屋市南区鳥山の「丹八山公園」)に埋めて、
京へ運んだのは遺髪だけだった」という話です。
丹八山公園」にも首塚の石碑があるそうです。       
京都神田明神

京都神田明神 由緒

屋根の上には鍾馗さん

膏薬辻子(こうやくのずし) 由来

<おまけ>
斑女塚から神田明神に抜ける狭い通りに「仁丹の町名表示板」があります。
2022/5/6の朝日新聞の「古都ぶら」の記事によると
市内で588箇所(2022/3現在)確認されているそうです。是非探してみてください。
3.鵺(ぬえ)
「頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎」の怪獣(鳥)、それが「鵺(ぬえ)」だ。
神明神社境内にて 

平家物語巻4によると、平安時代後期、深夜、天皇の住まいである内裏に怪しい鳴き声がし
帝は大層怯えられ、病の床に伏してしまった。
そこで弓の名手である源頼政に鵺退治が命じられた。
頼政は、神明神社で祈願の後、見事に退治した。
鵺は、二条城の北方に落下し、その時に血のついた鏃を洗ったのが「鵺池というわけだ。

鵺池は二条公園の中(北側)にあり、中央に「鵺池碑」が立っているが磨滅しており判読不可。
傍には復元碑が建てられており、鵺神社もある。

【鵺池と鵺神社】(上京区主税町 二条公園内)                
鵺池(二条公園内)
鵺池(二条公園内)
鵺池碑(本文解読不可)
解説板

復元碑(北面)
復元碑(南面)
鵺神社

鵺神社

神明神社】(下京区神明町)
使われた弓矢の「矢じり」2本が神明神社に奉納され、社宝として伝わっている。
祭礼の際には一般公開されるようだ。
    


この話には続きがある。
鵺の祟りを恐れ、亡骸は舟に乗せて鴨川に流されたという。
淀川を下った船は大阪の今の都島に一旦漂着した後、
海を漂って芦屋川と住吉川の間の浜に打ち上げられたという。
夫々に鵺塚が建てられ、ねんごろに祀られているそうだ。
 ★大阪都島の鵺塚 (Google Mapへ)
 ★兵庫芦屋の鵺塚 (Google Mapへ)

 何ともおどろおどろしいネーミングの飴だ。
 幽霊子育飴は、みなとや子育飴本舗(東山区轆轤町東入ル西)で今も売られている(税込¥500円)。   
名前とは裏腹に、この飴には哀しくも母の愛情が生んだ感動の物語が秘められていた。
飴に同封されている「由来」には、
と書かれている。      
漫画家の「水木しげる」先生も、大層お気に召したようで「50袋も購入した」との
記事(週刊朝日 1997/1/31号)が店内に掲示されていた。
代表作のひとつ「ゲゲゲの鬼太郎」はこの話がモデルになっているという。

店の前には、西福寺があり、角に「六道之辻」の碑が建っている。
そう、ここは現世とあの世との境界にあたる場所だ。
葬送の地「鳥辺野」はこの辺り以東だ。
地名も「轆轤(くろ)町」となっているが、かっては「髑髏(くろ)町」と呼ばれていたとか。
「髑髏(どくろ)町」では余りにもドギツイ。
六道之辻」といい「髑髏(どくろ)町」といい「幽霊子育飴」に相応しいシチュエーションだ。
轆轤町
まだまだ続きの話があって、
母親がくれた飴のおかげで命拾いした赤子は、その後僧になって修行に励み
立本寺(上京区一番町)」の「日審上人」になったと言われています。
「立本寺」でも同名の「幽霊子育飴」を購入することが出来るようです。

さらに、上方落語の題材にもなっているようで、
そこでは「高台寺の高僧になった」とされています。
言わなくてもわかりますよね、オチは「高台寺(こおだいじ) =>子を大事」。


順次公開予定。乞うご期待。