2018年8月25日土曜日

太秦(うずまさ)界隈 ~大魔神~

太秦(うずまさ)界隈 ~大魔神~


8月上旬にNHK BSプレミアム(BS3ch)で「大映」映画の大魔神シリーズが放映されていた。
「大魔神」,「大魔神怒る」,「大魔神逆襲」、 何れも1966年(昭和41)の作品だ。
もう50年以上にもなるのか、懐かしいな~。
「大魔神」、太秦に復活しているらしい。猛暑を押して出掛けた。
ついでに太秦界隈で以前から気になっていたところを巡ってみた。

大魔神(右京区太秦堀ケ内町30-50)
大映通り商店街の西の端連れのスーパーマーケットの前で「怒りの形相」で仁王立ち。
背丈は4m以上、迫力あるな~。暑さも忘れ暫し見入った。
案内板によると平成25年(2013年)に復活したようだ。
「弱きを助け強きを挫く」。世に蔓延る諸悪を根絶していただきたいものだ。


太秦界隈
太秦(うずまさ)、何とも読みにくい地名だ。地名の由来は、
大酒神社(後述)の由緒書に、
「渡来人である秦酒公は、秦氏諸族を率いて蚕を養い、呉服漢織に依って絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積して山の如く丘の如し。天皇御悦の余り、埋益(うずまさる)という意味で酒公に「禹豆満佐(うずまさ)」の性を賜う」とある。
それに秦氏の拠点(太)という意味で「太秦」の漢字を当てた。というのが定説だそうだ。
嵐電 太秦広隆寺


広隆寺 桜門
秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺。その本尊が国宝指定第1号の弥勒菩薩像。
「太秦界隈」には秦氏にまつわるお話がたくさんある。

秦の始皇帝・・・・>功満王・・>弓月王・・>秦酒公・・>秦河勝
 
1.いさら井(右京区太秦西蜂岡町17)
広隆寺の西に「いさら井」と呼ばれる井戸がある。
「いさら」とは「少ない」という意味で、「いさら井」は「水量の少ない井戸」という意味らしいのだが、
「日ユ同祖(日本人とユダヤ人の祖先は同じ)論」を説く人によれば
「いさら井」は「イスラエル」が訛ったものだという。

「秦氏の祖先は古代キリスト教を信仰していたユダヤ系の民族であり、その名残である」とも。
何とも俄には信じられない荒唐無稽の話のような気もするが 夢とロマンはある。

2.大酒神社(右京区太秦蜂岡町)
大酒神社は広隆寺の東にある。元は広隆寺境内にあったが神仏分離で今の地に移ったそうだ。
祭神は、秦の始皇帝、秦酒公、秦河勝。
兄媛(エヒメ)命、弟媛(オトヒメ)命(呉織女 漢織女)も合祭されているらしい。
社頭の石碑には「太秦明神 呉織神 漢織神」、側面には「蠶養機織管弦楽舞之祖神」とある。

鳥居の柱は8角形。これは後述する木島坐天照御魂神社(蚕養神社)の三柱鳥居と同じであり関連を伺わせる。

面白い話はこれからで、大酒神社はかっては「大闢」(あるいは「大避」)神社と表記していたと言う。
【大闢】は中国では【ダビデ】を意味し「この神社の名前はユダヤの王を表している」というのである。
鳥居 柱が八角形
鳥居 神額
太秦明神 呉織神 漢織神
本殿
由緒書
3.木島坐天照御魂神社(蚕養神社)(右京区太秦森ケ東町50)
木島坐天照御魂神社(通称:木島神社)だけ行くのであれば、嵐電「蚕ノ社駅」が近い。

木島坐天照御魂神社とあるので天照大御神が主祭神かと思いきや、由緒書によれば祭神は、
天之御中主神、大国魂神、穂々出見命、鵜茅葺不合命、瓊々杵尊の五神。
(最初に出現した神、大国主命、山彦、山彦の子で神武天皇の父、天孫降臨の主人公)

一番の見どころは何といっても元糺の池に建つ「三柱鳥居」だ。
鳥居の常識を覆すその形状、「何か特別の意味を持つに違いない」と考えてしまう。

三柱鳥居と元糺の池
由緒書によると
「中央の組石は本殿ご祭神の神座であり宇宙の中心を表し四方より拝することが出来るよう建立されている 
創立年月は不詳であるが現在の鳥居は亨保年間(約三百年前)に修復されたものである」と。

更に続けて、思わせ振りと言うか意味深というか、
「一説には、景教(キリスト教の一派ネストル教、約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないか
と伝われている」と書かれている。

果たして、
「秦氏の祖先は古代キリスト教を信仰していたユダヤ系の民族であり、その名残」で
「三位一体」を意味しているのか、はたまた古事記にある造化三神を意味するのか、
単に松尾大社、下鴨神社、伏見稲荷方向に向いているだけなのか、
他にもっと深遠なる意味があるのか・・・、妄想は膨らむばかり、真相やいかに。
(松尾大社:秦忌寸都理、伏見稲荷:秦伊呂具、下鴨神社:秦氏と姻族関係にあった賀茂氏が創建)
 
 
本殿(左)と蚕養神社(右)
由緒書
境内 案内

4.三吉稲荷神社(右京区太秦多藪町28)
日本映画の父と言われる「牧野省三」顕彰碑があるというので三吉稲荷神社に寄ってみた。
三吉稲荷神社は、大映通り商店街を少し入った左手にある。

ここには中里八幡と三吉稲荷が祀られている。変わった組み合わせだと思っていたら、
たまたま境内を清掃されていた方(かって映画関係の仕事に従事していたとのこと)が
「この辺りは竹藪で撮影所を作るときに竹藪の中から見つかったものを一緒に祀った」
と説明してくださった。「なるほど 納得」。
由来記
牧野省三 顕彰碑

牧野省三は、津川雅彦の祖父にあたる。

見どころ満載の「太秦界隈」
他にも秦一族の首長級の墓とされる蛇塚古墳や天塚古墳(共に石室が見れる)など見どころは多い。

あ、忘れてた「東映太秦映画村」も直ぐ近くにある。

夢とロマンあふれるミステリアス・スポット満載の「太秦界隈」、是非一度お訪ね下さい。

2018年8月22日水曜日

桂 地蔵寺 地蔵盆

桂 地蔵寺 地蔵盆


愛犬との散歩中、桂 地蔵寺(「京の六地蔵」のひとつ)の前で「地蔵盆 演芸大会」のポスターを発見。


暑さも少し和らいだ午後7時過ぎに行ってみた。
寺のそばの道路の一角には多くの露天商がならび、大勢の親子連れや子供たちで賑わっていた。
昼間の「暑さ」とは違う「熱さ」を感じる。少子高齢化が嘘みたいだ。
今日は子供たちが主役だ。嬉々とし目が輝いている。

ブラブラと見学。金魚すくい、綿菓子、りんご飴、・・、超懐かしい~。
久しぶりに童心に返った感じ。

演芸大会も大いに楽しませていただいた。


2018年8月19日日曜日

7777

7777

現在(2018/8/19)、Visitorの数は「7766」だ。
平均すると毎日10件ほど訪問していただいているので、
ひょっとしたら今日明日にも「7777」になるのかな~?。

洋の東西を問わず、7(七)は縁起のいい数字だと言われている。
それが4つも並ぶなんて・・。

7777番目のVisitorに幸あれ。

2018年8月5日日曜日

近所の歴史探訪~「西芳寺川古墳群(その3)」編~

 近所の歴史探訪~「西芳寺川古墳群(その3)」編~


西方寺川古墳群の探訪は今回で3回目だ。

一回目は「坊城古墳群」 (近所の歴史探訪~「西芳寺川古墳群」編~ 参照)
二回目は「北松尾古墳群」(近所の歴史探訪~「西芳寺川古墳群(その2)」編~ 参照)

二回目には「上園尾古墳群」も訪れてみたが、残念ながら古墳を発見することは出来なかった。
その後、更に調べてみると「西方寺川古墳群」には、「上園尾古墳群」以外にも
 ①ゲート(車止め)右手の「松尾山」への登山道脇(神ヶ谷古墳)
 ②「上園尾古墳群」の対岸
などに古墳(群)があるらしい。
今回は、リベンジを兼ねて「上園尾古墳群」を再度探訪するとともに、①及び②も探訪してみた(印)。
(は探訪済み)

①ゲート(車止め)右手の「松尾山」への登山道脇の古墳 (神ヶ谷古墳)
 古墳は、ゲート(車止め)右手の松尾山への登山道を上ってすぐの所にあった。
 登り始めてすぐ登山道右手に開口部が見える(下りだと見つけにくいかも)。
 柵が張り巡らされているので中に入れず石室内部は覗けなかった。柵越しにパチリ。
ゲート
松尾山への登山口
登山道の右手に開口部が
開口部
開口部 拡大①
開口部 拡大②

ご参考】
 この山道は「京都一周トレイル 西山コース」にもなっている。
松尾山に向かうトレイルコース沿いに「松尾山古墳群」が散在する。
トレッキングと古墳探しの両方を堪能できるいいコースだ。
松尾山古墳群」については、松尾山古墳群及び松尾山古墳群(その2) を参照してください

上園尾古墳群  (上園尾1,2号墳)
上園尾古墳群には、2基の古墳がある。
前回来たときには見つけられなかった。今回はリベンジ。慎重に探索。
2号橋を渡って直ぐ右手の道に入り、踏み跡(はっきりした道はない)を左手の方向に辿る。
石材が少し露出しているところがあるので古墳らしいが天井石や石室は見当たらない。
獣(熊?,猪?)捕獲器の左手上に天井石らしきものが僅かに見える。
近づいてみると確かに石室の開口部だ。残念ながら内部は殆ど埋まっていた。
距離は短いが、傾斜がきつく落ち葉が堆積しているので大変滑りやすい。
見学時は事故のないようくれぐれもご注意下さい。
2号橋を渡って直ぐを右手に入る
石材が・・
獣捕獲器の左上
開口部①
開口部②
石室内部
②「上園尾古墳群」の対岸
 ここには4基の古墳がある。仮にA~D号墳と呼ぶ。
2号橋(松園橋)の手前左手から山中へ。途中三叉路があるので右手(川沿い)の道へ。
直ぐ左手にA号墳が見える。墳頂には石材が散乱しているが石室(天井石)は見当たらない。
A号墳からほんの少し先の左手後方に、こんもりとした膨らみが幾つか見える。円墳のようだ。
向かって右からB,C,D号墳とする。

B号墳:墳頂付近に石室の天井部が大きく開口している。石室の形状がよく残っていた。
C号墳:巨大な天井石が露出しており間に小さな隙間が見える。カメラを突っ込んでパチリ。
      内部は殆ど埋まっているようだ。
D号墳:墳頂付近に小さな穴が・・(最近開けられた?)。カメラを突っ込んでパチリ。
      内部は殆ど埋まっているようだ。
2号橋手前左手から
途中の三叉路を右へ
A号墳 墳頂には石材が散乱
B号墳 開口部
B号墳 開口部拡大
B号墳 石室内部①
B号墳 石室内部
C号墳 天井石の間に隙間が
C号墳 内部
D号墳 墳頂付近に小さな穴が
D号墳 内部
D号墳からB,C号墳を望む
【あとがき】
案内板によると「西方寺川古墳群」では43基の古墳が発見されている。
三回の探訪を通じて都合12基の「石室の見える古墳」を見たことになる。

下調べが十分でなく3回も訪問することになってしまったが、
一回の訪問で全てを回りきれる範囲内にある(※)
古墳好きの方、特に石室を見たい方にはお薦めのコースです。


世は古墳ブームなのだとか。
これから探訪をしてみようという方々の参考になれば幸いです。
   近所の歴史探訪~「西芳寺川古墳群」編~      坊城古墳群
   近所の歴史探訪~「西芳寺川古墳群(その2)」編~ 北松尾古墳群
   近所の歴史探訪~「西芳寺川古墳群(その4)」編~
も併せてご参照下さい。

蛇足:古墳フンしすぎて足を滑らさないように。

(※)
最近見つけたのですが「京都市遺跡地図提供システム」で古墳を含む遺跡の場所(位置)を
調べることが出来ます。活用しましょう。

古墳シリーズ