2019年6月29日土曜日

高瀬川、西高瀬川、東高瀬川の源流を訪ねて

高瀬川、西高瀬川、東高瀬川の源流を訪ねて


高瀬川
ボランティア活動(シルバーCITAサロン)の活動拠点/京都ひとまち交流館の裏手(東側)に
「高瀬川」が流れている。そこに「高瀬川船廻し場跡」を示す駒札が建っている。
高瀬川船廻し場跡
 それによると、高瀬川は、
「豊臣秀吉が天下統一の後、その権勢を誇るものとして「天下泰平」祈願の寺・方広寺(大仏殿)を建立した時、
その資材(石材)を瀬戸内の島より諸大名に命じて、伏見の港から京(みやこ)へ搬入するために、
天正十四年(1586)、当時の豪商・角倉了以に命じて、御土居の外に沿って掘らせ、
慶長十九年(1614)、現・一之舟入(二条)から伏見まで息子素庵と共に開通させた水路(運河)が高瀬川である。
その後、この高瀬川は、京に米・材木・薪炭・などの他、日常雑貨なども運び込む大切な通路として、
大正九年(1920)まで使われていた。
 当時使われていた高瀬舟は、水深の浅い川に合わせた船底の浅い平らな舟で急流を
荷を積んで乗り切れるように「高背(たかせ)」即ち船べりが高く造られていた。後略」

以上は、歴史の授業で学ぶところであるが、授業では教えてくれない「高瀬川の水」、
一体何処からきているのでしょうか? 源流は何処なのでしょうか?

鴨川右岸(二条~五条)の河川敷を散策すると直ぐお気づきになると思うが、
実は高瀬川は二条大橋の下流右岸で「みそそぎ川(※)」から取水しているのです。
その取水口が「高瀬川の源流(注)」というわけです。
(注)取水口に入る前にみそそぎ川は2つに仕切られている。厳密にいえば仕切りの先端が源流かもしれない。

取水された水は、角倉了以の別邸跡(現がんこ高瀬川二条苑)を通り、木屋町通りを潜って再び姿を現す。
高瀬川源流

了以はこの付近に住んでいたようで、別邸跡(現がんこ高瀬川二条苑)や邸址の碑が建っている。
厳密には黄色〇辺りが源流か?
高瀬川源流庭苑
高瀬川の始まり始まり
角倉了以別邸跡 碑
角倉氏邸址 碑
高瀬川一之船入 碑
高瀬川一之船入 案内板
高瀬川一之船入
高瀬川の水運
東高瀬川
 高瀬川は二条から伏見をつないでいるのだが、実は、下の地図を見るとお分かりのように、
南区東九条辺りで一旦鴨川に合流し、鴨川を横断して対岸の東山区福稲高原町辺りから再び始まっている。
鴨川より以南の「高瀬川」を「東高瀬川」とよんでいるようだ。
現在は鴨川とは繋がっていないようで、普段水は流れていない。
雨が降れば付近の雨水を集めて流れ出すのか?
源流と呼んでいいのかどうか? 何とも風情のない源流だ。
東高瀬川 源流
東高瀬川」に関連して最近面白いもの(?)を見つけた。
京都ひとまち交流館裏手の「高瀬川」に「上の口橋」という名の橋が架かっている。
橋の親柱には「橋の名前」と「河川名」の銘板がはめ込まれている場合が多いが、
上の口橋」には何と「東高瀬川」と書かれているではないか。

上の口橋」 は明らかに高瀬川に架かる橋だ。にも拘わらず「東高瀬川」と表記されている。
明らかにミスだと思えるが、敢えて「東高瀬川」と表記する特別な理由(わけ)でもあるのだろうか
どなたか教えてください。
高瀬川に架かる「上の口橋」

ひとまち交流館の裏手「高瀬川」に架かる「上の口橋
何と「東高瀬川」と書かれている
西高瀬川
[東高瀬川]があれば[西高瀬川]もある。

中京区壬生天池町のスーパーの前に「西高瀬川を知ってましたか?」と書かれた駒札がある。
■どこを流れているの?
「(西高瀬川は)渡月橋西の桂川を水源にして嵯峨・太秦を経て天神川と交差。
三条通りと並行するように東進してこの東の壬生朱雀町あたりで南下。
最後は伏見区上鳥羽で鴨川に合流します。総延長は15.4km。
■西高瀬川の歴史は?
文久三年(1863)に丹波地方の木材や穀物を大堰川から洛中に運ぶために河村与三右衛門という人が開削。
京都府が明治三年(1870)に改修。後略」
西高瀬川を知ってましたか?
嵐山には毎年何度も足を運ぶ。
渡月橋上流100mほどのところにある葛野大堰に取水口があることは当然知っていた。が、
恥ずかしい話「この取水口が西高瀬川の源流」だということを知ったのはつい最近のことだ。
景観的には素晴らしいところにある。
上流側から見て右側の構造物は「嵐山保勝会水力発電所」 で、渡月橋の足下灯用電力に使われている。

【西高瀬川・高瀬川・東高瀬川の源流(まとめ)】
源流といえば、山奥の沢を上り詰めたあたりの岩から滴り落ちる水滴の光景をイメージするが、
西高瀬川・高瀬川・東高瀬川の源流に限って言えば、そのようなロマンチックなところはない。

西高瀬川 高瀬川 東高瀬川


西高瀬川の源流
嵐山渡月橋の上流の大堰左岸側から取水している。景観的にはGood。
高瀬川の源流
二条大橋の下流で「みそそぎ川(※)」から取水している。
西高瀬川の源流
鴨川とは繋がっていないようだ。普段水は流れていない。無機質。

みそそぎ川(※)】
みそそぎ川の詳細については、別稿「みそそぎ川の源流を訪ねて」を参照してください。
みそそぎ川は賀茂大橋下流200mほどの鴨川右岸から取水され、京の夏の風物詩「納涼床」の下を流れ、
人々に「涼」と「癒やし」を与えて、五条大橋の手前で役目を終えて鴨川に戻ります。
みそそぎ川源流(鴨川賀茂大橋下流右岸。後方は賀茂大橋)
みそそぎ川河口(鴨川五条大橋右岸。左後方は五条大橋)

【角倉了以関連】
桓武天皇勅営角倉址・了以翁邸址」はリンク先を参照してください。

【角倉了以の子 [素庵]の墓】
角倉了以の子 [素庵]の墓は、化野念仏寺境内にあります。
竹林の中にあり中には入れません。

【高瀬川おまけ】
高瀬川で運ばれたのは貨物だけではなかったようだ。
森鴎外の小説「高瀬舟(※)」にもあるように、遠島を申し渡された罪人を運ぶこともあったようだ。
四条小橋のすぐ南に「涙の地蔵」がまつられている。
「罪人を島流しに送り出す時、無事に帰れるようにと、涙を流してお願いした」地蔵さんだそうだ。 

【ご参考】
森鴎外の小説「高瀬舟(※)」は「青空文庫」で読むことが出来ます。
Microsoft Edgeを使うと読み上げてくれます ([・・・](設定など)=>[音声で読み上げる])。
但し、完璧ではありません。ルビ付きの文字は2度読み、高瀬舟を[こうせふね]などと読むのはご愛嬌?

2019年6月28日金曜日

火事

火事

視聴者提供

2019年6月23日日曜日

カサブランカ満開

カサブランカ満開

カサブランカ、今年も見事に咲きました。
一斉に咲きだしたので飾りきれません。
近所にもおすそ分けしよ~っと。
花粉が付かないよう「やく」はCutしてあります
一斉に咲きだしました

2019年6月15日土曜日

12345

12345

[12345]、右肩上がり(もはや死語)の数字で、何となくいい感じですね。

間もなくVisitor(画面左上)の数が[12345]になりそうです。
2019/6/15 19:00現在のVisitor数

この数字[12345]を引き当てた方に幸運が訪れますように!!!

種をまき水や肥料をあげてください
努力が報われ、大きく育つといいですね


P.S.
Congratulation
2019/6/19AM6:43

2019年6月8日土曜日

ウエスティ 音暦(おとごよみ) Fresh Music × Fresh Music! 

ウエスティ 音暦(おとごよみ)  Fresh Music × Fresh Music!

ウエスティ 音暦(おとごよみ)」は、京都市立芸術大学の現役学生さんたちによる演奏会で
年2回(6月,12月)、西京文化会館 ウエスティで開催されています。
もう何回聴かせていたただいたことでしょう。いつ聴いても素晴らしいですね。

6月は、管・打楽専攻生の皆さんの演奏。Programは2部構成。
 Ⅰ部はアンサンブル
 Ⅱ部は吹奏楽(京都市立芸術大学シンフォニックウィンドアンサンブル)。

何れも初めて聴く曲ばかりで興味深く聴かせていただきました。

個人的には、
「獅子神楽」,「高貴なる葡萄酒を讃えて」,「ルイ・ブルジョワの賛歌による変奏曲」などがお気に入りかな~。

素敵な演奏を聴かせていただきまして有難うございました。

Thanks.

シャンパーニュ
(「高貴なる葡萄酒を讃えて」より)