近所の歴史探訪 ~「山陰街道」編~
「灯台下暗し」と言うか、長年住んでいても近所のことは知らないことが意外と多い。
近所を走っている「山陰街道」もその一つだ。
「山陰街道」は、京の七口の一つである「丹波口」を起点とし文字通り「山陰地方」に抜ける街道。
(「丹波口」は、JR嵯峨野線の「丹波口駅」にその名を残している)
(七条通りと千本通りの交差点の西(京都市中央卸売市場前)に「丹波口」を示す道標がある)
「山陰街道(ほんの一部)」沿線の歴史(史跡)を探訪してみることに。
今回は、近所の桂大橋中央付近から西山連峰の素晴らしい眺めを楽しみながら西詰の「常夜灯」からスタート。
=>「近所の歴史探訪 ~「山陰街道(その2)」編~」では、
「維新殉難志士墓」から「旧山城国(京都)と丹波国の国境」までをご案内します。
桂大橋中央部付近から嵐山方面を望む |
桂大橋の中ほどから西山の素晴らしい景色を眺めながら橋を渡ると江戸時代に建立された「常夜灯」がある。
右手に進むこと数百メートル、左手に「桂離宮」が見える。今は予約なしで入れるが満員になり次第締切。
★11時受付開始。見学時間は1時30分、2時30分、3時30分の中から選択。各回20人。
★本人確認があるので身分証明書は必携。
「桂離宮」の前の道を進むと「御霊神社」がある。神社の右手奥が「極楽寺」だ。
「極楽寺」は八条宮家の位牌所、庭が京都市指定名勝になっている。
常夜灯の道を挟んで反対側に老舗の和菓子屋「中村軒」がある。その裏手には「隆平そば」。
なんでもミシュラン☆だそうだ。
No | 見所 | One Point |
① | 常夜灯 A | 弘化3年(1846)建立 |
② | 桂離宮 | 八条宮家が造営した離宮。予約なしでOK。満員になり次第締切。本人確認あり |
③ | 御霊神社 | 祭神は、平安時代の三筆のひとり橘逸勢 |
④ | 極楽寺 | 八条宮家代々の位牌所で、庭が京都市の指定名勝 |
⑤ | 中村軒 | 明治16年創業という和菓子の老舗 |
⑥ | 隆平そば | ミシュラン☆ |
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常夜灯から先に進むと右手奥に「春日神社」があるが、由緒書きがないので詳しいことはわからない。
桂川街道との交差点を過ぎると急に道が狭くなる。交通量も多いので事故には要注意。
直ぐに「地蔵寺(桂地蔵)」がある。
平安時代、地獄に行き来したという小野篁(おののたかむら)が彫ったと伝わる地蔵菩薩が祀られている。
右手に阪急桂駅(東口)に行く道があるがそのまま直進。右手に区内唯一の銭湯(スーパー銭湯除く)「桂湯」。
少し行った信号のある交差点右角に「孝子儀兵衛翁之墓 西南六丁」と書かれた碑がある。
(孝子儀兵衛翁」については、別項「近所の歴史探訪 ~「孝子儀兵衛翁」編~」を参照されたし)。
右に曲がってすぐ「右 西山御坊 よし峰 大原の 岩くら」、「左 むかふ町 あわふ ながをか やなぎ谷」
と書かれた道標がある。西山別院は目と鼻の先だ。
西山別院は久遠寺と称し、平安時代の始め伝教大師 最澄によって開かれた。
No | 見所 | One Point |
⑦ | 春日神社 | |
⑧ | 桂地蔵寺 | 小野篁が彫った六体の地蔵菩薩の一つ。都の六つの街道の入り口に安置された。 |
⑨ | 桂湯 | 区内唯一の銭湯(スーパー銭湯除く) |
⑩ | 孝子儀兵衛翁之墓之碑 | 「西南六丁」とある。一丁109.9mとして約660m。 |
⑪ | 道標 | 「右 西山御坊 よし峰 大原の 岩くら」、「左 むかふ町 あわふ ながをか やなぎ谷」 |
⑫ | 西山別院 | 久遠寺。(西)本願寺京都四ケ別院の一つ。伝教大師 最澄によって開かれた |
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【[⑫西山別院]から樫原交差点】
西山別院(東門=>南門)を抜けて右手に進むと阪急「川岡踏切」がある。
踏切を渡ったすぐに松尾(大社)七社の一つとされている「大宮社」がある。
少し行った左手に「孝子儀兵衛翁墓参道」の碑がある。
参道を進むと、[三宮神社]=>[革嶋春日神社]=>[冷聲院]に至る。
冷聲院は「孝子儀兵衛翁」の菩提寺だ。「孝子儀兵衛翁」を称える東郷平八郎筆の顕彰碑もある。
「孝子儀兵衛翁墓参道」の碑に戻って先に進むと、「京都市歴史的意匠建造物」に指定された
風格ある古風な家がある。
少し先の左側の民家の軒先に「孝子儀兵衛翁舊蹟」の石碑がある。「孝子儀兵衛翁」の住居跡だ。
先に進むと物集女(もずめ)街道と交差する樫原交差点に出る。
No | 見所 | One Point |
⑬ | 大宮社 | 松尾七社の一つとされている |
⑭ | 孝子儀兵衛翁墓参道の碑 | 孝子儀兵衛翁墓参道の碑。 |
⑮ | 三宮神社 | 祭神は、有名な「山彦」の子「鵜葺草葺不合命」で神武天皇の父。 |
⑯ | 革嶋春日神社 | ご当地の領主「革嶋家」縁の神社 |
⑰ | 冷聲院 | 孝子儀兵衛翁の菩提寺(注) |
⑱ | 京都市歴史的意匠建造物 | 風格のある建物(写真参照) |
⑲ | 「孝子儀兵衛翁舊蹟」の碑 | 孝子儀兵衛翁の住居地跡 |
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山陰街道と物集女(もずめ)街道の交わるところが「樫原」。古くから交通の要所、物流の拠点として
栄えたようだ。山陰街道最初の宿場町でもありよく保存された古い町並みが続く。
樫原陣屋跡(本陣)は京都市指定有形文化財になっている。
この辺りは「西京樫原界わい景観整備地区」に指定されており見所満載。
ゆっくり時間をかけて景観や歴史を楽しみたいものだ。
No | 見所 | One Point |
⑳ | 郷倉 | 年貢米等が収蔵される。平安時代に起源。 |
㉑ | 「勤王家殉難之地」の碑 | 蛤御門の変に敗れた長州藩志士3名の殉死の地 |
㉒ | 小畠川 | 明智川とも呼ばれる。本能寺の変のあと光秀がここで落馬したとか |
㉓ | 油商 小泉家 | 実際に使われていた当時の油壷が展示されている |
㉔ | 龍淵寺 | 辻のお地蔵さんが祀られている |
㉕ | 「揚げ素戸、ばったり床机」のある家 | 「揚げ素戸、ばったり床机」は写真を見ての通り |
㉖ | 玉村家 | 樫原陣屋跡(本陣)。京都市指定有形文化財。 |
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【玉村家から維新殉難志士墓】
樫原陣屋跡(本陣)から少し行ったところが「札の辻」。樫原宿の西の端になる。案内板を読むと「樫原宿場街」は随分と発展していたようだ。
向かいには「三宮神社御旅所」。左手に進むと新山陰街道と交わる交差点がある。
交差点手前右手に「福水大明神」の小さな社。「福水大明神」ってどんな神様?
「福水」は、元日の朝最初にくむ水のことだ。近くに池があるのでやはり「水」関連の神なのでしょうか?。
交差点を渡って進むと「三宮神社」「三宮天満宮」があり、神社の前には国の史跡に指定された「樫原廃寺跡」がある。
「樫原廃寺跡」は公園化されており八角堂の礎石が復元されている。
「札の辻」に戻って左手に池を見ながら進むと「樫原札の辻三志殉難の地」の案内板が見える。
丘の中腹に3人の墓がある。今回はここが終点だ。
No | 見所 | One Point |
㉗ | 札の辻 | 樫原宿の西の端。札場があった。愛宕灯籠(天保14年)、「左 松尾嵐山道」の道標 |
㉘ | 三宮神社 御旅所 | 三宮神社㉚の御旅所 |
㉙ | 福水大明神 | |
㉚ | 三宮神社 | 祭神は、素盞鳴大神、酒解大神、大山昨大神 |
㉛ | 三宮天満宮 | 祭神は、言わずと知れた菅原道真公 |
㉜ | 樫原廃寺跡 | 7世紀半ば(飛鳥時代後期)に建立された。公園化され八角塔の礎石が復元されている |
㉝ | 維新殉難志士墓 B | ㉑蛤御門の変に敗れた長州藩志士3名の墓 |
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続きは「近所の歴史探訪~「山陰街道(その2)」編~」でお楽しみください。
(山陰街道(その2)では、「維新殉難志士墓」から「旧山城国(京都)と丹波国の国境」までをご案内します)
【結び】
見どころ満載、歴史の宝庫「山陰街道」。皆様も一度歩かれてみてはいかがですか?。
(但し、道幅が狭く交通量も多いので、くれぐれも事故にはご注意下さいませ)
皆様の近所にも知らないところが沢山あると思います。
じっくり見て廻れば、きっと新しい発見があるはずです。
【アクセス】
桂大橋西詰常夜灯:京阪京都交通/市バス33系統 桂離宮前(または桂大橋)下車。
または阪急桂駅東口から徒歩約10分
維新殉難志士墓 :京阪京都交通/市バス33系統 三宮(札の辻のところ):下車。
【所要時間】 ゆっくり歩いて約2時間。桂離宮を見学するともう少し時間がかかるかも。
近所の歴史探訪「街道」編は、
①近所の歴史探訪~「山陰街道」編~
②近所の歴史探訪~「山陰街道(その2)」編~
③近所の歴史探訪~「西国街道(その1)」編~
④近所の歴史探訪~「西国街道(その2)」編~
⑤近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~
⑥近所の歴史探訪~「物集女街道」編~
⑦近所の歴史探訪~「桂川街道」編~
の以上7編で完結です。