「源氏物語 ゆかりの地」を訪ねて
「京都市では、平成二十年十一月一日に源氏物語千年紀を迎えるにあたり、
近年の遺跡発掘調査等の成果から明らかになった天皇の住まいであり、
『源氏物語』の中心舞台であった内裏跡を中心に、平安宮跡や平安京跡ほか、
市内広範囲にある源氏物語ゆかりの地40か所を選定し、平成十九年度に説明板を設置しました」。
(平安京図会(*)「源氏物語の巻」より)
(*)平安京図会は、
「京都市生涯学習センター(京都アスニー)」の2階の事務所で販売されています。
「平安京図会(史跡散策の巻、源氏物語の巻、復元模型の巻)」(税込\300円)。
40か所全ての「源氏物語 ゆかりの地」を訪ねてみました。
【番外地】
「源氏物語の作者 紫式部ゆかりの地」として、
①千本えんま堂(引接寺)の紫式部供養塔
40か所全ての「源氏物語 ゆかりの地」を訪ねてみました。
【番外地】
「源氏物語の作者 紫式部ゆかりの地」として、
①千本えんま堂(引接寺)の紫式部供養塔
も訪れました(自薦)。
【紫式部邸宅跡(「源氏物語執筆地」)と伝わる蘆山寺】
千本えんま堂(上京区閻魔前町)には、 閻魔大王が鎮座されていますが、
小野篁(おののたかむら)の像も祀られており、境内には紫式部の供養塔があります。
【紫式部邸宅跡(「源氏物語執筆地」)と伝わる蘆山寺】
千本えんま堂(上京区閻魔前町)には、 閻魔大王が鎮座されていますが、
小野篁(おののたかむら)の像も祀られており、境内には紫式部の供養塔があります。
紫式部・小野篁墓所(紫野西御所田町)には、紫式部と小野篁の墓が並んで建っています。
閻魔大王、紫式部、小野篁、この三者の関係は?
小野篁は、昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をして
いたといわれる人物で、六道珍皇寺(東山区)の井戸から冥府に通っていたと云われています。
(六道珍皇寺の閻魔堂にも閻魔大王と小野篁の像が安置されています)
紫式部は小野篁の170年ほど後に生まれており年代的な重なりはありません。
では何故、 紫式部と小野篁の墓が並んで建っているのでしょうか?
「色恋沙汰を描いた罪で地獄に落ちた紫式部を救済するため小野篁が閻魔大王にとりなした」
という話が伝わっています。
紫式部の墓は端からこの地にあったようで、哀れに思った後世の人が小野篁の力を借りて
紫式部を地獄から救い出すために小野篁の墓を建てたのでしょうか?
真実や如何に。
(*)平安京図会は、
「京都市生涯学習センター(京都アスニー)」の2階の事務所で販売されています。
「平安京図会(史跡散策の巻、源氏物語の巻、復元模型の巻)」(税込\300円)。
紫式部・小野篁墓所 |
小野篁は、昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をして
いたといわれる人物で、六道珍皇寺(東山区)の井戸から冥府に通っていたと云われています。
(六道珍皇寺の閻魔堂にも閻魔大王と小野篁の像が安置されています)
紫式部は小野篁の170年ほど後に生まれており年代的な重なりはありません。
では何故、 紫式部と小野篁の墓が並んで建っているのでしょうか?
「色恋沙汰を描いた罪で地獄に落ちた紫式部を救済するため小野篁が閻魔大王にとりなした」
という話が伝わっています。
紫式部の墓は端からこの地にあったようで、哀れに思った後世の人が小野篁の力を借りて
紫式部を地獄から救い出すために小野篁の墓を建てたのでしょうか?
真実や如何に。
平安京図会「源氏物語の巻」(*)に示された「源氏物語ゆかりの地」40か所。
・1~24は、平安京図会「史跡散策の巻」の地図上に示されています。
・1~24は、平安京図会「史跡散策の巻」の地図上に示されています。
No | ゆかりの地 | 区名 | 説明板の位置 |
1 | 平安宮内裏跡(源氏物語の中心舞台) | 上京 | 下立売通智恵光院西入下丸屋町 |
2 | 平安宮内裏凝華舎跡(梅壷)、飛香舎跡(藤壺) | 上京 | 土屋町通出水下る西神明町 |
3 | 平安宮内裏弘微殿跡 | 上京 | 出水通千本東入る東神明町 |
4 | 平安宮内裏清涼殿跡(天皇の居所) | 上京 | 下立売通千本東入田中町 |
5 | 平安宮内裏承香殿跡 | 上京 | 浄福寺通出水下る西入東神明町 |
6 | 平安宮内裏蔵人町屋敷 | 上京 | 下立売通千本東入田中町 |
7 | 史跡平安宮跡 内裏跡(内郭回廊跡) | 上京 | 下立売通千本東入田中町 |
8 | 平安宮内裏紫宸殿跡 | 上京 | 下立売浄福寺西入田中町 |
9 | 平安宮内裏淑景舎跡(桐壺) | 上京 | 出水通浄福寺東入田村備前町 |
10 | 平安宮内裏昭陽舎跡(梨壺) | 上京 | 浄福寺通出水下る東入田村備前町 |
11 | 平安宮内裏温明殿跡(内侍所跡) | 上京 | 下立売通智恵光院西入る下丸屋町 |
12 | 平安宮内裏東限跡と建春門跡 | 上京 | 智恵光院通出水下る分銅町 |
13 | 平安宮内裏南限跡と建礼門跡 | 上京 | 智恵光院通下立売下る中務町 |
14 | 平安宮内裏宣陽殿跡 | 上京 | 浄福寺通下立売上る下丸屋町 |
15 | 平安宮内裏大蔵省跡・大宿直跡 | 上京 | 中立売通裏門西入多門町 |
16 | 平安宮内裏朝堂院大極殿跡 | 上京 | 千本通丸太町上る小山町 |
17 | 平安宮内裏西限と左馬寮跡・藻壁門跡 | 中京 | 西ノ京左馬寮町 |
18 | 史跡平安宮跡 豊楽院跡(豊楽殿跡) | 中京 | 聚楽廻西町 |
19 | 平安宮朝堂院昌福堂跡 | 上京 | 千本通丸太町下る東主税町 |
20 | 平安宮一条大路跡 | 上京 | 一条通大宮東入石橋南半町 |
21 | 一条院跡(一条院内裏跡) | 上京 | 大宮通中立売上る糸屋町 |
22 | 二条院候補地(陽成院跡) | 中京 | 夷川通小川東入東夷川町 |
23 | 大学寮跡 | 中京 | 西ノ京北聖町 |
24 | 斎宮邸跡 | 中京 | 西ノ京東中合町 |
25 | 朱雀院跡 | 中京 | 壬生花井町(日本写真印刷㈱) |
26 | 西鴻臚館 | 下京 | 朱雀堂ノ口町(京都市中央卸売市場) |
27 | 羅城門跡 | 南 | 九条通新千本東入唐橋羅城門町 |
28 | 鞍馬寺 北山の「なにがし寺」候補地 | 左京 | 鞍馬本町(鞍馬寺境内、由岐神社横) |
29 | 大雲院旧境内 北山の「なにがし寺」候補地 | 左京 | 岩倉上蔵町北山病院敷地内 |
30 | 雲母坂(比叡山延暦寺の横川への上がり口) | 左京 | 一乗寺竹ノ内町(関西セミナーハウス敷地) |
31 | 雲林院 | 北 | 柴野雲林院町 |
32 | 遍照寺境内(夕顔のモデル大顔の舞台) | 右京 | 嵯峨広沢西裏町 |
33 | 棲霞観跡(清凉寺) 源融別業跡 | 右京 | 嵯峨釈迦堂藤ノ木町 |
34 | 野宮(野宮神社) | 右京 | 嵯峨野々宮町 |
35 | 大堰の邸候補地(明石君邸推定地) | 右京 | 嵯峨天龍芒ノ寺馬場町 |
36 | 法成寺跡(藤原道真建立の寺院跡) | 上京 | 荒神口通寺町東入荒神 |
37 | 蘆山寺(紫式部実家推定地) | 上京 | 寺町通広小路上る北之辺町 |
38 | 梨木神社(中川の家候補地) | 上京 | 寺町通広小路上る染殿 |
39 | 鳥辺野(葬送の地) | 東山 | 妙法院前側町 |
40 | 大原野神社(藤原氏ゆかりの神社) | 西京 | 大原野南春日町 |
番外 | 紫式部の墓 | 北 | 紫野西御所田町 |
番外 | 紫式部の供養塔(千本えんま堂境内) | 上京 | 閻魔前町 |
(*)平安京図会は、
「京都市生涯学習センター(京都アスニー)」の2階の事務所で販売されています。
「平安京図会(史跡散策の巻、源氏物語の巻、復元模型の巻)」(税込\300円)。