近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~
近所の歴史探訪~「西国街道(その1)」編~では、
JR東海道本線 向日町駅から西南約150mにある「西国街道 深田橋 光明寺道の大道標」から「一文橋」まで
を紹介しました。
近所の歴史探訪~「西国街道(その2)」編~では、「一文橋」から「調子八角」までを紹介しました。
近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~では、「調子八角」から最終ゴールの「松尾芭蕉句碑」までを紹介します。
【⑦[調子八角]から[ねじりマンポ]】
【⑧[ねじりマンポ]から[松尾芭蕉句碑]】
【⑦[調子八角]から[ねじりマンポ]】
【調子八角周辺】
その2では「調子八角」の右手角にある「①調子八角の道標」を紹介しましたが、
道を横断したところの「調子馬ノ池公園」にもいろいろあるようなのでチョット見ていこう。
角に「①調子八角」の道標。隣に「②西国街道の解説板」がある。
中央には当時の「③馬の池」 を再現したため池がある。近くに「④馬の池の水」と「⑤案内板」。
この水は100%地下水で長岡京市上下水道部が管理する水道水供給施設だそうだ。
地下水で美味しいのか多くの方がポリタンク持参で汲みに来ていた。合間をぬって写真をパチリ。
名称の由来は、「かつてこの地にこんこんと湧き出る三角形の小さな池があり、一説には、
小倉神社の祭りの際に稚児を乗せる馬を清めたと伝えられており、
それにちなみ「馬ノ池の水」と名付けらた」とのこと。
他にも 「⑥硲遺跡の案内板」や友好都市である中国の寧波市から寄贈された「⑦馬の銅像」がある。
ここまで来たらもう少し足を延ばしてみよう。
【小倉神社】
「調子八角」を西に進むと「小倉神社」だ。
阪急京都線の踏切を渡り、坂道を暫く進むと左手に「⑧小倉神社」の大きな道標がある。
道標の足元に「⑨石倉神社」がある。投石信仰とかで
「今年も豊作、無病息災で過ごせます様に」 と社に石を投げつけたのだとか。
道標を左に曲がり真っ直ぐ進むと「⑩小倉神社」。奈良時代に農耕の守り神として創建され、
乙訓地方では最古の神社のひとつ。境内には「⑪天王山(270m)への登山口」もある。
【長岡京市立中山修一記念館】
「調子八角」を東に行くと「⑫長岡京市立中山修一記念館」がある。
「長岡京の歴史解明に一生涯を捧げ、多大な業績を残した故中山修一氏のご遺族の好意により寄付された
土地及び建物を利用し、氏の足跡と発掘調査研究の成果を一目で見られる施設として市が整備した」。
入館料:無料。開館時間:10:00~16:00。火曜日が休館日。
【三浦芳次郎の碑,葛原親王屋敷伝承地,大日の森・山伏の塚,ねじりマンポ】
「調子八角」まで戻り、先に進もう。
暫く進むと 小泉川に架かる橋。橋の手前に「⑬大山崎町」の境界標が見える。
長岡京市に別れを告げ、いよいよ大山崎町だ。
橋を渡って直ぐ右手に「⑭三浦芳次郎の碑」がある。
明治の世、乙訓郡の筍や綴喜郡や久世郡の梨の販路拡大に尽力し農家から大いに感謝されたようだ。
少し進んで右手に入ると「⑮葛原親王屋敷伝承地」がある。 葛原親王は桓武天皇の第五皇子。
小泉川(の支流?)を越え、右手に進み阪急京都線を超えると
田んぼの中にぽっかり浮かぶ直径30メートルほどの円形の森が見える。「⑮大日の森・山伏の塚」だ。
塚には「⑮大日如来地蔵」が祀られている。このあたりでは「山伏の塚の大日さん」として親しまれている。
暫く進むと街道の上にJR東海道本線が見えてくる。その手前の道を右に入ると「⑯ねじりマンポ」だ。
街道沿いには案内板などはないのでうっかりすると通り過ごしてしまうので要注意。
下に降りる階段が見える。屈めば通れそうなので中に入ってみた。反対側にでると立派な石組の入口(?)だ。
案内板もある。「明治時代の土木遺産」。
「マンポ」とは、たんぼや水路道路があったところに鉄道を通すために造ったトンネル状の
狭い通り道のこと(正確には鉄道の橋)。アーチ部分の煉瓦がうねっているように見える不思議な空間だ。
(ご参考:京都地下鉄蹴上駅近くにも規模の大きい「ねじりマンポ」があります。上は蹴上インクラインです)
【河原の如来さん,天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場跡,狐の渡し跡】
Google Mapを見ていて以前から気になっていたところがあるので、またまた寄り道だ。
「ねじりマンポ」を左に進み、小泉川と出会う角に「⑰河原の如来さん」、左手前方には「⑱天王山夢ほたる公園」、
公園内には「⑲天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場碑」、右手にドンドン行くと「⑳狐の渡し跡」がある。
「⑰河原の如来さん」 、江戸時代の始め難産で母子の命が危ないことを心配した家族や村人が
河原の大日如来にお百度参りをした。三日後に元気な赤ちゃんが生まれたが、お礼に行くと如来さんは消えていた。
月日は流れ昭和の始め小泉川の改修工事の際、川底から見つかり、村人たちがこの地に祀ったのだとか。
数奇な運命を辿った「如来さん」、きっとご利益も大きいに違いない。
「⑲天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場碑」の正面には天王山がよく見える。
「⑳狐の渡し跡の駒形札」を読んでも何故「狐」と呼ばれたのかは読み取れない。残念。
(「狐の七変化のように川の流れがよく変わり、渡し場が日によって変わったから」だとも言われている)
【⑧[ねじりマンポ]から[松尾芭蕉句碑]】
【大山崎の山崎東黒門跡,山崎津跡,大山崎町歴史資料館,妙喜庵】
「ねじりマンポ」まで戻って前進。
名神高速の下を進むと左手に大山崎町役場が見える。更に進むと右手に「㉑大山崎の山崎東黒門跡」がある。
解説板を読むと、かって大山崎の住人は集落の東西の先端に東黒門、西黒門を設けて治安の維持を図ったそうだ。
邪気を払う石敢当と呼ばれる石板(㉑写真中央)や江戸時代大山崎出身の力士「高瀬川清兵衛石碑(㉑写真左)」もある。
少し進んで左に曲がると大きなマンションの前に「㉒山崎津跡」の案内板がある。津は港の意味だ。
平安京造営に使うため大量の瓦を天王山の麓にあった「大山崎瓦窯」で生産し、ここから船積みされたとある。
また土佐日記で有名な紀貫之も土佐からの帰路ここに到着したようだ。
少し先に「㉓大山崎町歴史資料館」がある。茶室「待庵」の原寸大レプリカを見たかったが、時間の関係で今回は涙をのんでパス。阪急大山崎の駅前を過ぎ少し進むと「㉔JR山崎駅へ」の案内板が見える。
「JR山崎駅」の前には有名な「㉕妙喜庵」がある。千利休が造ったといわれる唯一の茶室「待庵」がある。
日本最古の茶室であり、「㉖国宝」に指定されている。
豊臣秀吉が天王山山頂の山崎城に造らせた茶室が後に「妙喜庵」に移設された。
「㉗本物を見学するには予約が必要」だが、 先の「大山崎町歴史資料館」には原寸大のレプリカがある。
是非見たいものだ。
【離宮八幡宮,大山崎町/島本町境界,関大明神,松尾芭蕉句碑】
「㉘離宮八幡宮」は、司馬遼太郎の「国盗り物語」で有名になりましたが、この神社は「㉙製油発祥の地」。
平安末期に荏胡麻油作りが活発化し中世の頃には「山崎の油座」として栄えたようだ。
菅原道真公が太宰府に赴任する途中、腰を掛け一句詠んだという「㉚菅原道真腰掛け石」もある。
その先に「㉛京都府大山崎町と大阪府島本町の境界」がある。細い小川(水路?)が境界だ。
とうとう大阪(島本町)まで来てしまった。
水路の向こうに「㉜関大明神」がある。その昔には関所があったといわれている。
大阪府の重要文化財に指定されている。
いよいよ今回の「近所の歴史探訪~「西国街道」編~」のゴール(㉝松尾芭蕉句碑)だ。
「関大明神」のほんの少し先の右手民家の門前に「㉝松尾芭蕉句碑」がある。
ここがゴールだ。
お勧め
結構距離があることと、史跡があちこちに点在しているため、
効率よく巡るには機動力があり小回りの利く「電動チャリ」を利用されることをお勧めします。
スタート地点のJR向日町駅にはレンタサイクルがないので、
阪急洛西口または桂駅のレンタサイクルを利用するといいでしょう。電動チャリは420円/日です。
(スタート地点のJR向日町駅まで、洛西口から約10分、桂駅から約20分です)
くれぐれも交通事故にはご注意ください。
時間ロスがないよう、行きたい場所はあらかじめ地図上でよく確認しておくといいでしょう。
近所の歴史探訪~「西国街道(その1)」編~
近所の歴史探訪~「西国街道(その2)」編~
近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~
近所の歴史探訪「街道」編は、
①近所の歴史探訪~「山陰街道」編~
②近所の歴史探訪~「山陰街道(その2)」編~
③近所の歴史探訪~「西国街道(その1)」編~
④近所の歴史探訪~「西国街道(その2)」編~
⑤近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~
⑥近所の歴史探訪~「物集女街道」編~
⑦近所の歴史探訪~「桂川街道」編~
の以上7編で完結です。
他にも 「⑥硲遺跡の案内板」や友好都市である中国の寧波市から寄贈された「⑦馬の銅像」がある。
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ここまで来たらもう少し足を延ばしてみよう。
【小倉神社】
「調子八角」を西に進むと「小倉神社」だ。
阪急京都線の踏切を渡り、坂道を暫く進むと左手に「⑧小倉神社」の大きな道標がある。
道標の足元に「⑨石倉神社」がある。投石信仰とかで
「今年も豊作、無病息災で過ごせます様に」 と社に石を投げつけたのだとか。
道標を左に曲がり真っ直ぐ進むと「⑩小倉神社」。奈良時代に農耕の守り神として創建され、
乙訓地方では最古の神社のひとつ。境内には「⑪天王山(270m)への登山口」もある。
本殿裏手には「「小倉神社磐座」,「地磁波発生の処」なるミステリアススポットがある。
是非立ち寄って自分の目で確認して欲しい。
(「ミステリアス・スポット!?「地磁波発生の処」(小倉神社)」)をご参照下さい)
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「調子八角」を東に行くと「⑫長岡京市立中山修一記念館」がある。
「長岡京の歴史解明に一生涯を捧げ、多大な業績を残した故中山修一氏のご遺族の好意により寄付された
土地及び建物を利用し、氏の足跡と発掘調査研究の成果を一目で見られる施設として市が整備した」。
入館料:無料。開館時間:10:00~16:00。火曜日が休館日。
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【三浦芳次郎の碑,葛原親王屋敷伝承地,大日の森・山伏の塚,ねじりマンポ】
「調子八角」まで戻り、先に進もう。
暫く進むと 小泉川に架かる橋。橋の手前に「⑬大山崎町」の境界標が見える。
長岡京市に別れを告げ、いよいよ大山崎町だ。
橋を渡って直ぐ右手に「⑭三浦芳次郎の碑」がある。
明治の世、乙訓郡の筍や綴喜郡や久世郡の梨の販路拡大に尽力し農家から大いに感謝されたようだ。
少し進んで右手に入ると「⑮葛原親王屋敷伝承地」がある。 葛原親王は桓武天皇の第五皇子。
小泉川(の支流?)を越え、右手に進み阪急京都線を超えると
田んぼの中にぽっかり浮かぶ直径30メートルほどの円形の森が見える。「⑮大日の森・山伏の塚」だ。
塚には「⑮大日如来地蔵」が祀られている。このあたりでは「山伏の塚の大日さん」として親しまれている。
暫く進むと街道の上にJR東海道本線が見えてくる。その手前の道を右に入ると「⑯ねじりマンポ」だ。
街道沿いには案内板などはないのでうっかりすると通り過ごしてしまうので要注意。
下に降りる階段が見える。屈めば通れそうなので中に入ってみた。反対側にでると立派な石組の入口(?)だ。
案内板もある。「明治時代の土木遺産」。
「マンポ」とは、たんぼや水路道路があったところに鉄道を通すために造ったトンネル状の
狭い通り道のこと(正確には鉄道の橋)。アーチ部分の煉瓦がうねっているように見える不思議な空間だ。
(ご参考:京都地下鉄蹴上駅近くにも規模の大きい「ねじりマンポ」があります。上は蹴上インクラインです)
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【河原の如来さん,天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場跡,狐の渡し跡】
Google Mapを見ていて以前から気になっていたところがあるので、またまた寄り道だ。
「ねじりマンポ」を左に進み、小泉川と出会う角に「⑰河原の如来さん」、左手前方には「⑱天王山夢ほたる公園」、
公園内には「⑲天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場碑」、右手にドンドン行くと「⑳狐の渡し跡」がある。
「⑰河原の如来さん」 、江戸時代の始め難産で母子の命が危ないことを心配した家族や村人が
河原の大日如来にお百度参りをした。三日後に元気な赤ちゃんが生まれたが、お礼に行くと如来さんは消えていた。
月日は流れ昭和の始め小泉川の改修工事の際、川底から見つかり、村人たちがこの地に祀ったのだとか。
数奇な運命を辿った「如来さん」、きっとご利益も大きいに違いない。
「⑲天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場碑」の正面には天王山がよく見える。
「⑳狐の渡し跡の駒形札」を読んでも何故「狐」と呼ばれたのかは読み取れない。残念。
(「狐の七変化のように川の流れがよく変わり、渡し場が日によって変わったから」だとも言われている)
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【⑧[ねじりマンポ]から[松尾芭蕉句碑]】
【大山崎の山崎東黒門跡,山崎津跡,大山崎町歴史資料館,妙喜庵】
「ねじりマンポ」まで戻って前進。
名神高速の下を進むと左手に大山崎町役場が見える。更に進むと右手に「㉑大山崎の山崎東黒門跡」がある。
解説板を読むと、かって大山崎の住人は集落の東西の先端に東黒門、西黒門を設けて治安の維持を図ったそうだ。
邪気を払う石敢当と呼ばれる石板(㉑写真中央)や江戸時代大山崎出身の力士「高瀬川清兵衛石碑(㉑写真左)」もある。
少し進んで左に曲がると大きなマンションの前に「㉒山崎津跡」の案内板がある。津は港の意味だ。
平安京造営に使うため大量の瓦を天王山の麓にあった「大山崎瓦窯」で生産し、ここから船積みされたとある。
また土佐日記で有名な紀貫之も土佐からの帰路ここに到着したようだ。
少し先に「㉓大山崎町歴史資料館」がある。茶室「待庵」の原寸大レプリカを見たかったが、時間の関係で今回は涙をのんでパス。阪急大山崎の駅前を過ぎ少し進むと「㉔JR山崎駅へ」の案内板が見える。
「JR山崎駅」の前には有名な「㉕妙喜庵」がある。千利休が造ったといわれる唯一の茶室「待庵」がある。
日本最古の茶室であり、「㉖国宝」に指定されている。
豊臣秀吉が天王山山頂の山崎城に造らせた茶室が後に「妙喜庵」に移設された。
「㉗本物を見学するには予約が必要」だが、 先の「大山崎町歴史資料館」には原寸大のレプリカがある。
是非見たいものだ。
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【離宮八幡宮,大山崎町/島本町境界,関大明神,松尾芭蕉句碑】
「㉘離宮八幡宮」は、司馬遼太郎の「国盗り物語」で有名になりましたが、この神社は「㉙製油発祥の地」。
平安末期に荏胡麻油作りが活発化し中世の頃には「山崎の油座」として栄えたようだ。
菅原道真公が太宰府に赴任する途中、腰を掛け一句詠んだという「㉚菅原道真腰掛け石」もある。
その先に「㉛京都府大山崎町と大阪府島本町の境界」がある。細い小川(水路?)が境界だ。
とうとう大阪(島本町)まで来てしまった。
水路の向こうに「㉜関大明神」がある。その昔には関所があったといわれている。
大阪府の重要文化財に指定されている。
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「関大明神」のほんの少し先の右手民家の門前に「㉝松尾芭蕉句碑」がある。
ここがゴールだ。
㉝松尾芭蕉句碑
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お勧め
結構距離があることと、史跡があちこちに点在しているため、
効率よく巡るには機動力があり小回りの利く「電動チャリ」を利用されることをお勧めします。
スタート地点のJR向日町駅にはレンタサイクルがないので、
阪急洛西口または桂駅のレンタサイクルを利用するといいでしょう。電動チャリは420円/日です。
(スタート地点のJR向日町駅まで、洛西口から約10分、桂駅から約20分です)
くれぐれも交通事故にはご注意ください。
時間ロスがないよう、行きたい場所はあらかじめ地図上でよく確認しておくといいでしょう。
近所の歴史探訪~「西国街道(その1)」編~
近所の歴史探訪~「西国街道(その2)」編~
近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~
近所の歴史探訪「街道」編は、
①近所の歴史探訪~「山陰街道」編~
②近所の歴史探訪~「山陰街道(その2)」編~
③近所の歴史探訪~「西国街道(その1)」編~
④近所の歴史探訪~「西国街道(その2)」編~
⑤近所の歴史探訪~「西国街道(その3)」編~
⑥近所の歴史探訪~「物集女街道」編~
⑦近所の歴史探訪~「桂川街道」編~
の以上7編で完結です。