西方寺谷林道を行く「山の神さん」を訪ねて
「偶には体を動かさなければ・・・」ということで、何処に行こうか思案。
結果、三密がなくそこそこ山の雰囲気を感じられる「西方寺谷林道」に行ってみることに。
林道「西芳寺谷線」起点 |
西方寺谷林道は、
観光スポット「苔寺(西芳寺)」「鈴虫寺」の傍を流れる西芳寺川に沿って建設された林道だ。
「西芳寺川古墳群」探訪のため何度も訪れたことがあり「勝手知ったる我が家の庭」同然。
但し、全線踏破したことはなく3基の石室が見学できる坊城古墳群の先、北松尾古墳群までであった。
西芳寺谷林道は延長6,357m。
徒歩で行くのはチョットしんどそうなので「ズル(手抜き)」してチャリ(電動)で行くことに。
(この選択が後で後悔することになるとは知る由もなかった)
鈴虫寺・苔寺(西芳寺)の前の道を進むと行き止まりとなる。
右側の橋を渡り少し進むと、松尾学区古墳群 案内板や松尾学区古墳・史跡地図がある。
その先に「山の神さん」が祀られている。
明治39年までは、場所は不明ながら「山の神神社」があったそうな。
昔、川は背後の大岩の後ろを流れていたようで少し窪んでいる。
地の人の話では、
「林道の先に『祠のある山の神さん』が祀られている」とのことなので今回の目的地はそこに決めた。
「山の神さん」のすぐ先にゲートがある。一般道はここまで。
ゲートの先が「林道 西芳寺谷線(幅員3m 延長6,357m)」だ。林道の起点を示す標識がある。
右手には京都一周トレイル西山コース(松尾山方面)、
左手には唐櫃越えを経て桂坂・沓掛山へ続く山道の案内板がある。
西山コースを登ってすぐのところに「神ケ谷古墳」がある(竹林を囲む柵の門の前)。
それぞれの橋には1から始まる橋番号が書かれた案内板がたっている。
この橋番号は古墳探訪の目安となる。例えば、
2号橋を渡った右手斜面には「上園尾古墳群(2基)」が、橋の手前左の山道を入ると4基の古墳がある。
([西芳寺川古墳群(その3)]を参照)
3号橋を渡って直ぐの右手崖上にも石室の開口した古墳を見ることが出来る。
坊城古墳群の石室の形状をよく残す3基の古墳に勝るとも劣らない古墳だ。
(見学するには崖を攀じ登る必要があり多少のリスクを伴う。「西芳寺川古墳群(その4)」を参照)
「面白い名前」「なんでこんな名前をつけたんだろう」と思わせる谷名がある。
3号橋の直ぐ先にある「ペロペロの谷」なんかはその最たるものだ。
「ペロペロ」って何ですかね?
そういえば、林道起点には「くさりの谷」の案内板があった(くさり:鎖?)。
また林道からトレイル西山コースや松尾山などに登る山道が幾つも分岐している。一本杉西と東の谷の間の山道を登ると、トレイル西山コースのNo39,40,42への道標がある。
道は、4号橋、5号橋へと続く。
5号橋には坊城古墳群がある。案内板が設置されているのですぐにわかる。
坊城古墳群には5基の古墳(円墳)があり、その内3基は石室の形状をよく残す古墳だ。
一度は見ておきたいものだ。写真ではなくご自身の目で直接見て欲しい。一見の価値あり。
★石室内部にも入れるので、見学にあたっては懐中電灯は必携。
★古墳①と②の石室は立派。古墳②の墳頂には天井石の一部が露出しており奥壁上部に穴が空いている。
3基の古墳の奥にあるこんもりしたところが4基目の古墳(円墳)だと思われる。
墳頂にあたる部分が少し陥没している。古墳前の山道は松尾山へと至る。
北松尾古墳群には4基の古墳(円墳)がある。手前の2基は林道脇にあり案内板もあるので容易に見つかる。
更に100mほど先に2基あるが、今は倒木に覆われ発見は困難か?。
以前は容易に発見できたのに残念だ(「西芳寺川古墳群(その2)」参照)
北松尾古墳群より先は未知の領域。何があるのか期待に胸が膨らむ。
先に進むと休憩場所があった。横に枝で編んだ大きな鳥籠のようなものがあるが、これは何?
少し先には水場もある。続いて「ドカンの谷」の案内板が。
「ドカンの谷」 排水のための「土管?」、「発破の音?」、「・・・」。
「ぺロペロの谷」といい「ドカンの谷」といい謎は深まるばかり。
ここまでは順風満帆、順調に進んできた。が、
カーブを曲がってその先に目にしたものは、何と「通行止」の看板。
「え~、嘘でしょう」
こんなことなら、ズルしない(電動チャリを使わない)で徒歩で来るんだった。
(;´д`)徒歩ホ…
P.S.
後日、再訪問した。
「山の神さん」には「山の神さんの大好物」が奉納されていた。
「西方寺谷林道を行く「山の神さん」を訪ねて(その2)」 をご参照ください。
林道の先には『祠のある山の神さん』が祀られていた |