京都市内で「お猿さん」に出会える神社&寺院
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AI(Copilot)で生成しました。 プロンプト:子猿を抱きかかえた母親猿が神社の前に鎮座 |
神社にはそれぞれ「神の使い」とされる動物がいる。
稲荷系の「狐」、天神(天満宮)系の「牛」、春日系の「鹿」、八幡系の「鳩」、・・・
「猿」は日吉(山王)系の神の使いだ。
をご参照ください。
比叡山延暦寺・日吉大社(滋賀県大津市)は平安京の北東にあたり、鬼門の魔除けの役割を担っていた。
その日吉大社の神の使い「神猿」が平安京の鬼門を見張っていたのだろう。
京都御所の猿ケ辻、幸神社、赤山禅院の「猿」は日吉系の神猿だ(と思う)。
日吉系とは別に猿田彦系の神社にも「猿」がいる。
猿田彦大神の神の使いは「蛙」だと言われており、
こちらの「猿」は、神使ではなくその名前との関連性で奉納されているのでしょう。
京都市内で「お猿さんと出会える神社&寺院」を巡ってみました(一部再掲)。
猿田彦系神社
地下鉄「太秦天神駅」の南に猿田彦神社がある。
ここにも「神猿」が祀られているが、日吉系とは違い(金)網の中に閉じ込められていない。
御幣を抱え神妙な顔つきで行儀よく本殿前に鎮座。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の3神猿は本殿下に整列。
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猿田彦神社(山之内庚申) 由緒(抜粋) |
朝日神明社境内裏手に猿田彦社がある。
2つの神石の横に「子供を抱いた猿」が鎮座。何とも微笑ましい姿だ。
我思うに、2つの親戚は猿田彦命と天鈿女命(アメノウズメノミコト)を象徴しているのではなかろうか?
猿田彦命は、天孫降臨に際し一行を地上界へ導く道案内をした地上界の神で
天鈿女命は、天岩戸にこもった天照大御神の気を引くために踊った天上界の女神で天孫降臨に随行している。
後に二人は結婚するのだが、子供を抱いた猿はそのシンボルではなかろうか?
朝日神明社は貞観年間(858~876)に丹波国桑田郡穴生村(現在の亀岡市)に造営され、
元亀元年(1572)に現在地に遷座されたという。
祭神は天照大御神。かっては広大な社域を有しており「幸神の森」と呼ばれていたようだ。
末社として、竈神社、稲荷社、祓川社、恒情神社、人丸社、飛梅天神、八幡春日社、猿田彦社の
八社があったが、今は猿田彦社(幸神社)ただ一つが残っている。
日吉系神社
新日吉神宮はその名の通りバリバリの日吉系だ。
永暦元年(1160年)、後白河法皇が比叡山東坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したのが始まりだそうだ。
バリバリの日吉系に相応しく本殿前に2匹の神猿(こま猿?)が祀られており、何れも金網で囲まれている。
| 本殿に向かって右手 |
| | 本殿に向かって左手 |
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神の使いである神猿は「神猿(まさる)(真猿)」と呼ばれている。
「まさる」は「魔去る」、「勝(まさ)る」、「増(まさ)る」に通じる。
本殿前や本殿欄間にも安置されている。他にも、
「猿」と呼ばれていたと伝わる豊臣秀吉(木下藤吉郎) を祀る「樹下(このもと)社」などもある(木下≒樹下)。
京・日吉神社は、984年(永観2年)に真如堂(真正極楽寺)が創建された際に
守護神として日吉大社を勧請したことに始まったと言われる。
境内の彼方此方に「神猿(まさる)(真猿)」さんが鎮座している。本殿前には狛猿が。
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本殿前の狛猿 |
| 吽形:子猿を抱く「子守猿」 |
| | 阿形:長寿の桃の実を持つ「長寿猿」 |
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鳥居横の「神猿(まさる)(真猿)」さんは、故郷(?)の比叡山方向を見つめているとのこと。
本殿横の願掛け不動尊の前には「おんぶ猿」が。
| | おんぶ猿 |
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御神徳:「日吉=>日々吉の暮らし」 |
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大豊神社の日吉社にも「猿」が「狛ざる」として祀られている。
金網に閉じ込められてはいない。
大豊神社は「狛・・」の多さが売りのようで、他に「狛へび」「狛ねずみ」「狛とび」などを
見ることが出来る。
庚申系
神社ではないが、庚申系の寺にもお猿さんがいる。京都市内では、京都三庚申が有名だ。
八坂庚申堂(金剛寺)、粟田口庚申堂(尊勝院)、山之内庚申(猿田彦神社)だ。
そもそも庚申とは、
十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)・十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)の組み合わせで
10と12の最小公倍数の60日(又は年)毎に巡ってくる。
この夜に人間の体の中にいる三尸(さんし)の虫が、寝ている間に体から脱け出して、
天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行くそうだ。
天帝は寿命を司る神であることから、罰として悪行をはたらいた者の寿命を縮めるそうだ。
ところが、三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、
庚申日には、徹夜をするようになったのだそうです(「庚申待ち」というそうです)。
この庚申待の行事にさまざまなことを行って徹夜していたが、
青面金剛(しょうめんこんごう)はこの三尸の虫を喰ってしまうので、いつの頃からか、
庚申待ちには、この青面金剛を本尊として拝むようになり、庚申=青面金剛となったとのこと。
何故、庚申信仰と猿が結びつくのか?
「申=猿」と考えるのが単純明快なような気もするが、
庚申(青面金剛)さんのお使いが3猿であるとの話もありよくわからない。
そこでAI(Copilot)に聞いてみた。質問は「庚申信仰と3猿との関係」とした。
以下AIの回答です。真偽のほどはご自身でご確認を。
庚申信仰と三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の関係は、日本の民間信仰として古くから伝わるものです。
庚申信仰は、中国の道教の教説である三尸説を基に、仏教、神道、修験道などが複合して形成された信仰で、
人々が庚申の日に禁忌行事を行い、悪霊や病気を避けるために徹夜で祈りを捧げるというものです。
三猿は、庚申信仰の中で「見ざる、聞かざる、言わざる」という教えを象徴するモチーフとして用いられています。
この教えは、人の悪事を監視して天帝に報告するとされる三尸虫を封じるために、
悪事を見ず、聞かず、話さないことを表しています。
三猿は、庚申信仰の主尊である青面金剛の足元に添えられることが多く、庚申塔にも彫り込まれています。
また、庚申信仰は山王信仰(日吉神社信仰)とも習合しており、猿が山王の使者とされることから、
庚申信仰にも猿が取り入れられました。
室町時代の末期には、山王の使者である猿が庚申信仰に組み込まれ、
庚申塔に三猿が欠かせないものとなりました。
このように、庚申信仰と三猿は、日本の宗教的・文化的背景の中で密接な関係を持ち、
多くの信仰の場や芸術作品にその姿を見ることができます。
ということだそうです。
大阪四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂(現存せず)と並び日本三庚申の一つで、
御本尊青面金剛は飛鳥時代に中国大陸より渡来した秦河勝により秦氏の守り本尊としておまつりされました。
平安時代、当代随一の験者であった浄蔵貴所が、すべての人々がお参りできるよう、
八坂の地に当寺を建立しました。いまから1,000年以上も昔のことです。
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本堂前に鎮座する3神猿(背後は無数の"くくり猿") |
八坂庚申堂から少し北の「ねねの道から高台寺台所門への坂道(台所坂)」の中ほど右手に
台所門をくぐると料理が上手になると言われています。
台所門を訪問される方は、途中、是非
庚申塔にもお立ち寄りください。
その他系
猿田彦系、日吉系、庚申系の何れでもないが「猿」と縁のあるお寺がある。
「一般の方への参拝·内覧は受け付けておりません」とのことなので門前の柵越しに撮らせていただいた。
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本堂左手前に鎮座する猿 |
正行院(猿寺)
正行院は、天文七年(一五三八年)に円誉上入が(一四九六~一五八四)が、開山した寺である。
円誉上人は、京都北山の中川の里で念仏修行の時、庵に遊びに来る多くの猿たちの首に「南無阿券陀込」
と書いた名号を結びつけて,お守りにせよと授けられた。
お守りを首にかけた猿は、ある日猟師に命を狙われたがそのお守りのご利益で、猿の命は救われた。
猿の命を狙った猟師は、そうした奇縁から改心して正行院で出家して僧となり、
今まで殺生してきた動物たちの供養をして生涯を終えた。
その話が都に広まり、正行院は、「猿寺」と呼ばれるようになった。
寺には、八百頭の猿の人形が飾られており、その中には、お釈迎さまがお説きになった「八正道』を猿が体で表した「見ざる、思わざる、言わざる、為さざる、合掌ざる、持たざる、忘れざる,聞かざる」
の八猿がある。
京都市
角に「輪形(わがた)地蔵」がある。「交通の安全」をお守りくださるそうだ。
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| 輪形(わがた) |
| | 輪形(わがた)地蔵 由緒 |
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❷これは珍しい⁉ [鬼門の魔除け(鬼門封じ)] 鬼門の魔除け(鬼門封じ)が施されている。ここまではよくある話だが、
何と鬼門の魔除けの上に[お猿さん]が鎮座している。
鬼門の魔除けに[鳥居]が建てられたものは見かけたことがあるが[お猿さん]は初めて。
御所が近いので[猿が辻]を模したものだと思われるが、設計者のセンスが伺われる。
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鬼門封じの上にお猿さんが鎮座。右側は[アルティ] |