2017年1月9日月曜日

これが京都(市内)の天岩戸だ!

これが京都(市内)の天岩戸だ!!


 これが京都(市内)の「天岩戸」。見ての通りで説明不要。
  (天岩戸は、日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)の境内にあります)

 中には 戸隠神社(御祭神は「天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)」が祀られています。
潜り抜けると穢が祓い清められ、福を招くといわれ「ぬけ参り」といわれているそうです。
★天手力男命が力ずくで開けた岩戸は、飛びに飛んで落ちたところが戸隠山(長野県長野市)に
   なったと伝わっています。戸隠山麓の戸隠神社の奥宮には天手力男命が祀られています。
★入口付近でご婦人連れが「怖くて入れない、中はどうなっているのですか?」と尋ねてこられたので
 「潜り抜けると福を招くようですよ」とだけお答えしておきました。その後どうされたのか‥。
★江戸時代に作られた「ガイドブック」の「花洛名勝図会」の『日山神明宮(粟田口神明社)』」には
 「岩戸道」の記載がある。江戸時代にはすでに存在していたようだ。
これが京都(市内)の「天岩戸」

天岩戸 入り口
天岩戸 内部
天岩戸 出口

日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)は、地下鉄「蹴上駅」から徒歩10分ほどのところにあります。

説明書きによると、
「日向大神宮」は、『清和天皇(850-881)』の勅願によって天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、
その後応仁の乱で焼亡したが、寛永年間(1622-1644)に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が再興したと伝える 」
とあります。

伊勢人が再興したことと関係あるのかないのか、境内には伊勢神宮を模したかのような外宮と内宮があります。
外宮には、
 天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコホニニギノミコト)
 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
が祀られています。
 伊勢神宮外宮には「豊受大御神」が祀られていますが、ここは少し違うようです。
瓊瓊杵尊は天照大御神の孫であり「天孫降臨」の主人公、天之御中主神は最初に現れた神です。

内宮には、
 天照大御神(アマテラスオオミカミ)
  多紀理毘売命(タギリヒメノミコト)
  市杵島姫売命(イチキシマヒメノミコト)
  多岐都比売命(タギツヒメノミコト)
  (三神は、アマテラスとスサノオとの誓約(ウケヒ)でアマテラスから生まれた神々で宗像三女神ともいう)

 境内には、内宮、外宮以外にも数多くの社があります。
天岩戸の前で踊ったという天鈿女命(神社)、天孫降臨の道案内をした猿田彦(神社)、
伊邪那岐・伊邪那美を祀った多賀神社、瓊瓊杵尊の妻「木花開耶姫」を祀った花祭(カサイ)神社、‥ 

もう完全に「古事記」の世界です。全てを紹介しきれないので詳しくは日向大神宮のHPで。

 右手の階段を上がりきったところに分岐点の標識があり、右手に進むと「伊勢神宮遥拝所」があります。
(遥拝所とは、遠くはなれたところから神仏などを遥かに拝む(遥拝する)場所のことです)。
伊勢神宮のある東南方向にむけ鳥居が建てられています。

 この辺りの山は神体山だそうです。日御山(ひのみやま)、神明山(東山36峯のひとつ)と称されるようで、
京都一周トレイルのルート上や鳥居の横に「日御山(ひのみやま)」の石碑が立っています。
分岐点を左手に少し登った所に標高点(218m)がありました。山頂標識がないので確証はありませんが、
ここをもって「神明山(218m)」とし、登頂したことにしました。
(この道を進むと「大文字山(465m)」に行く。またの機会に挑戦したい)

帰りがけ近くの南禅寺に立ち寄り、少し散策したあと帰路に。

日向大神宮は南禅寺からも近く手軽にいくことが出来ます。
一歩踏み込めば、神代の昔、神話の世界・古事記の世界に浸ることが出来ます。
是非足を運ばれることをおすすめします(「古事記」を少し齧っておくと更にいいかも)。

参道(入口:一の鳥居)
説明文
境内へ(三の鳥居)
外宮と祭神
内宮
内宮 祭神
遥拝所への道標/分岐点/神明山頂?
伊勢神宮遥拝所
「日御山」の石碑
南禅寺 法堂
南禅寺 水路閣
南禅寺 水路閣
【ご参考】
江戸時代の元治元年(1864年)に刊行された『花洛名勝図会』の絵図に、
日山神明宮 (粟田口神明社)」が紹介されている。
絵図の左側に「岩戸道」と書かれたところがあり、「天岩戸」は江戸時代には既にあったようだ。